ひと夏の経験

この時期の天気は予報通りとはいかない。2週連続で予報外(直前になって急に雨マークがつく)の雨に降られ、ずいぶんやきもきした。
▼さて、週末の下の子の野球の試合。本人が家を出る前に「今日の相手はかなり強い」と言っていた不安が的中した。先制したが逆転され、なんとか追いついたものの惜しくもサヨナラ負け。「あと二回勝てば県大会」と言っていたのに、少々早すぎる敗退となった。
▼元々下の子たちには、高校生並の体格をほこる他を寄せ付けない圧倒的な強さがあったわけではない。チームワークのよさでコツコツ新人戦等の大会を勝ち上がり、第1シードにまでなったが、他の強豪校の方が夏までの伸びしろはあったのかもしれない。
▼いずれにしてもよく頑張った。勝つより負ける方がずっと人を成長させる。人間は悔しさを糧に成長する生き物だから。中学の大会はこれで終わりだが、この先も野球人生は続く。野球人生が終わっても人生は続く。勝負は時の運。素直に勝者を讃え、次の目標に向かって歩き出せばいい。
▼妻からのまた聞きだが、子供たちの様子がいちいち子供らしくて微笑ましいので、ここに紹介しておく。どうやら下の子はいい仲間に恵まれたようだ。土曜は午前中試合に負けて、普段は帰りの車の中で食べてくるお弁当をうちに帰って食べていたそうだ。試合の後泣いている子もたくさんいたらしいから、車の中はきっとお通夜のようでとても食べる気がしなかったのだろう。
▼その晩の打ち上げは焼肉→カラオケの後、そのまま部員のひとりの家に5人くらで泊りにいった。妻が相手の母親にお礼のメールを打つと、「子供たち、ひとりになりたくないみたい」との返事。思わず妻と二人で笑ってしまった。翌日はみんなでボーリングに行って、帰宅は仕事帰りの僕とほとんどいっしょだった。つまり僕が試合後下の子に会ったのは日曜の夕方のことである。
▼敢えて触れずにそっとしておいた方がいいのか一瞬迷ったが、結局声をかけることにした。「残念だったね」。それには答えなかった下の子が、ややあって、「ああ、もうちょっとやりたかったなあ」と嘆息した。キッチンから妻が「みんなと試合の話とかしたの?」ときくと「してない」と答える。
▼きっとみんな同じ気持ちだっただろう。互いに口に出さずとも、負けた日の夕方から翌日の夕方まで丸一日いっしょに過ごした全員が、生まれて初めて感じる、ある名状しがたい寂しさを感じていたに違いない。いわゆる初体験だが、生きてさえいれば誰でも経験できる類のものではない。目標があり、仲間がいて、努力した者だけに許される得難い体験である。これこそが部活動の醍醐味だ。
▼「あそこで打っていれば」「あそこでミスしなければ」自分のふがいなさを呪う場面はいくらでも思い出されるのに、不思議に仲間を責める気持ちは微塵もない。そのことが彼らの口を余計に重くする。ベッドの上で持ち寄ったゲームをやりながら、時々他愛のない冗談を言ってじゃれ合う。これほど言葉が意味を持たない時間というものを僕は知らない。
▼熱狂のワールドカップも終わり、長男も今朝の新幹線で大学に戻った。下の子は今日からまた野球塾に通う日々である。時間は待ってはくれない。高校に行っても野球をやりたい彼は、もう「高校ってレベルが全然違うんて。ああ、なんとかレギュラーになりたいなあ。ベンチにも入れんかもしれん」と言っている。ひたむきな努力家だ。きっと彼の目の前にはナマケモノの僕には見えない景色が広がっていることだろう。

金曜は根菜カレー。土曜は下の子がお泊り、上の子が夜釣りで夫婦でスパ2種。