英国的一日

昨日はひどい雨だった。気温的にはそうでもないが、体感的には随分冷えた。とにかく一日よく降った。
▼その雨の中を隣市まで某ゼネコンの安全祈願に向かった。ホームで防水屋の番頭といっしょになり立ち話をする。防水の話以外話すことがない。向こうもそう思っていたかもしれない。雨が少し役に立った。
▼この時期は忙しくて、このところ安全祈願もご無沙汰だった。たしか以前は夕方に拝礼して、その後懇親会だったはずだが、昼前にパンパンして弁当昼食という流れ。これもご時世だろう。懇親会がアルコール抜きの昼食会に変わっても、行事そのものがなくなることはない。年頭に神社に行ってお祓いしてもらう。こういう習慣が大事だと思う。
▼拝礼して柏手を打ち、最後にお神酒を飲んで撤饌をいただく。外は蕭々と雨が降っている。神道云々は関係ない。民族によっては宗教的戒律であり、年代によっては体育会的規律になるかもしれないこの種の約束事は、外から見れば非合理で前近代的に見えるかもしれない。しかしある一定の慣習や形式に則って生きることが人間にとって重要なことは言うまでもない。
▼移動したホテルの昼食会場で誰かに声をかけられたがわからない。ややあってようやく頭の中で像が結ぶ。以前仕事にきてくれていた鳶工だ。すぐにやめてしまったので本当に久しぶりである。この場にきているということは、どこかの協力会社の番頭ということだ。僕と似たような立場である。せっかくなので隣りに座る。想い出話に花が咲く。
▼鳶をやめて今の会社に入り、そこもやめて3年ほど地場ゼネコンの監督をしてまた戻ってきたそうだ。元々鳶の前は別のゼネコンの監督だった。資格試験の会場で見かけたこともある。僕は落ちたが彼の名刺にはその資格名が刷られていた。続けて一級建築士にも挑戦していたが、受からないので諦めたらしい。ただの鳶工ではない。本来人に使われるより使う側の人間だろう。
▼聞けば42だという。随分貫禄があるので年上かと思っていたが、年齢をきいて納得。彼も僕と同じように、これまで一か所に落ち着けなかったのだ。その年齢なら、自分にはまだ何かできると思っていたとしてもおかしくはない。今の会社は出戻りだそうだ。もうもうそろそろ落ち着く頃だろう。弁当を食べ終わる頃には話もつきた。「また」と言って別れた。
▼ホテルを出るとまだ雨が降っている。雨勢が収まる気配がまるでない。地下道を歩いて大きな本屋に入る。さらにエスカレーターを上り、ビルの中の美術館で開催中の「ロイヤルアカデミー展」を観る。ターナーからラファエル前派までという副題で、J・E・ミレイ描くマルガリータ王女がポスターを飾る。
▼年代順に並ぶ展示は全体に色彩が乏しい。光の濃淡があるだけで、どうかすると日本の枯山水の趣である。色彩のあるものはクールベのようだ。やはりターナーとミレイがひときわ光彩を放っている。一回りしても、特に見るべきものはなかった。ここに描かれているのはロイヤルアカデミーの英国だ。それ以外の英国はここにはない。
▼雨はまだ激しく降っている。都合一時間サボって14時の新幹線に乗った。ひと駅が堪えきれず危うく寝過ごすとこだった。降りるともう雨はやんでいた。今観てきたイギリスの風景画のような光景が眼前に広がっている。雲間から弱い光が漏れている。オモチャのような建売と町工場と電信柱を間引けば日本もイギリスみたいなものだ。

昨日はヨガカレー。

今日は豚肉のソテーに菜の花の酢味噌和えにポトフ。
▼「イスラム国」の身代金要求期限である72時間が過ぎた。映像で殺害を予告する黒覆面の男、ジハーディ・ジョンの正体がテレビで紹介されていた。アラブ人ではなく、自らをジョン・レノンになぞらえるイギリス人ラッパーだ。「イスラム国」に参加するためにイギリスからシリアに渡った彼のようなイギリスの若者は600人以上いるらしい。
▼「イスラム国」は、これら欧米各国の不満分子の全てをコントロールできているのだろうか。軒を貸して母屋をとられるようなことがおきていたとしたら。社会に不満をもつ若者たちが、国家を模した組織を作る危険な「ごっこ」。いつかどこかで見た光景だ。そのためにイスラムを騙り宗教を利用しているのなら、オウム真理教と同じ構図だ。
▼日本在住のイスラム教徒がインタビューに答えていた。「彼らには「イスラム国」という名前を変えてもらいたい。「イスラム国」のやっていることはイスラム教の教えとは違う。私たちの気持ちは日本人と同じです。二人が無事に帰ってくることを祈っています」やはりテロリストとイスラムは別のものだ。過ちは改めるに如くはない。自分の不明を恥じ、イスラム教徒に謝罪したい。僕も彼ら不満分子と似たようなものだ。