自由というドグマ

天気は下り坂。木曜の雨が金曜まで広がった。雨の降る前は暖かい。陽が出ていなくても上着がいらない。寒中という感じが全くしない。
イスラム過激派の仏シャルリー・エブド紙襲撃事件に対し、欧米各都市で「言論の自由」を擁護するデモが巻き起こっている。再々に渡る預言者を侮辱する風刺画の掲載に憤るイスラム教徒の抗議デモも激しさを増す。互いに反発がエスカレートする中で、とんでもない事件が出来した。
▼昨年シリアで過激派組織「イスラム国」に拘束されていた邦人二人の殺害予告が、昨日ユーチューブに流れた。自らの外交方針である積極的平和主義の実践のため中東歴訪中の安倍首相が「イスラム国対策」として2億ドルの拠出を表明した直後のタイミングである。
▼政府組織が弱体化したイラク、シリア領内で急速に勢力を拡大してきた「イスラム国」は、これまでに20人近い欧米人人質を予告殺害してきたが、僕自身その残酷さに眉をひそめつつも、自分の国のことにならないと全くの他人事だったことに今さらながら気づかされた。
▼これまでも日本人のボランティアやNGO職員の拘束はあったものの、心のどこかで今起きていることはイスラムvs欧米の争いで、日本には直接関係ないことだと思っているところがあった。今後はもうそういう考えは通用しない。我々は欧米と価値観を共有する(新)自由主義国で、イスラム諸国はともかく「イスラム国」とは敵対関係にある。
▼いつかのエントリで超人気ブロガー女史が、ソマリアの海賊退治に国連多国籍軍が大船団を組んで向かう滑稽さを指摘していた。様々な利害や思惑が交錯する国際社会で旗幟を鮮明にすることはリスクを伴う。だから外交はどうしても当たり障りのないものになりがちだ。「海賊行為は許されない」「テロには毅然とした態度でのぞむ」など、誰もが文句のつけようがないお題目を8500キロの彼方から唱えていれば安心だった。ところが「イスラム国」はソマリアの海賊とは違った。
▼2億ドル拠出スピーチの時は「イスラム国対策」と明言していた安倍首相は、事が起きた途端「非軍事分野の人道的支援」を強調し始めた。だったら最初から「イスラム国」の名前を出さずに難民支援と言えばよかったのだ。安倍首相に限らず、「イスラム教徒とイスラム過激派は違う」的な言い逃れはもう通用しなくなっているのではないか。
▼欧米で起きている反イスラムデモは一部過激派分子に対するものだけだろうか。イスラムの反欧米デモも一介の弱小ブラックジャーナルだけに向けられたものだろうか。徒に対立を煽るわけではないが、素直に考えて、これまでなんとか誤魔化してきたものが抑えようのないところまできていると捉えるのが自然だ。もうゴマカシや言い訳は通用しない。今年は激動の始まりの年となるだろう。
▼クリスマスを祝う欧米文化が浸透した日本では、クリスチャンにあまり宗教臭さを感じない人も多いかもしれない。けど僕に言わせれば宗教なんてみな似たようなものだ。新興宗教伝統宗教もない。学会員とクリスチャンが結婚するなんて絶対にありえない。なんでそんなバカげた盲信を棄てられないんだろう。
▼今、世界のあちこちで起きている深刻な対立も、信仰心のない僕の目には同じように映る。いつまでそんなバカげた争いを続けてるんだろう。そして各地で「言論の自由」のために行進する欧米市民も、僕には自由教の狂信者に見える。他人の信じるものを侮辱する自由。石油利権のためにイラク空爆する自由。そんな自由でも自由こそは守られねばならぬ絶対の真理なのだ。
▼さて、年明け早々に訃報が二つ。柔道の斎藤仁さん。略歴で二大会連続の五輪金メダリストと出ていたのが意外だった。完全に山下の陰に隠れてしまった印象だ。そのライバルとの戦いは8戦全敗だが数字ほどの差はない。ほとんど引き分けの名前負けである。試合運びも含めて山下の方が老獪だったということ。不祥事が続く昨今の柔道界で心労が絶えなかったのだろう。早死にするのは善人だけだ。ご冥福をお祈りしたい。
▼もうひとりは作家の陳舜臣さん。こちらは90才の大往生だ。陳舜臣といえば「十八史略」。僕はこれを小学5、6年の時に読んだ。面白くて止まらなかった数少ない読本のひとつだ。殷周春秋時代から宋代までの中国の歴史だから、読めない漢字やわからない言葉も多かったはずだが不思議なものである。僕にとって悠久の歴史を感じられれば、それはいい小説だ。それには大陸の風が必要なのかもしれない。
▼昨日は絶品カラアゲ。皮と脂肪の少ないムネ肉をフリッターにして工夫していた。写真がないのが残念。

今日はチーズフォンデュ。冬休みの帰省中、友人宅のパーティで出てきて以来どうしてもやりたかったそうだ。今日は普通のお鍋とカセットコンロでやったが、友人宅には専用のチーズフォンデュ鍋があったそうだ。それがどうしても欲しくならないことを願う。