平気で嘘をつく人、つけない人

日曜の雨の後、月、火と大寒波に見舞われた。めったに雪の降らないこのあたりもちらほら白いものが目についた。昨日は寒気も緩み、日中はかなり暖かくなった。
▼さて、雪といえばスキーである。僕のスキー歴はこれまでに三度。大学四年の冬、亡き友人といっしょに彼のおじさんのスキー仲間に連れられて行った野沢温泉。初体験のスキーはもちろんだが、夜、宿に持ち込んだ珍味を囲む酒盛りが楽しかった。みな洒脱な大人たちだ。今、僕は25年前に学生だった僕らを引率してくれた彼らの年齢に達しているはずだ。時は瞬く間に過ぎてゆく。
▼翌年、そのおじさんの友人がやっていた民宿に別の友人と行ったのが二回目。さらに大学を辞めてからその友人と日帰りで行った越後湯沢が三回目。ユーミンの苗場コンサートが毎年の国民的行事だったバブル最盛期のことである。東京から電車に乗って「ガーラ湯沢」で降りると、目の前にそのままゲレンデが広がっていた。ひと口にスキー場と言っても、雪深く視界の狭い野沢温泉とは印象がまるで違った。
▼日曜にきていたハツリ屋が、仲間がスケボーで足の骨を折ったという話からスキーの話になった。ガラ出しの人夫が「久しぶりにスキーがしたい」と言い出す。今週行こうと思ってたのに僕が仕事を入れるから行けないなどと言う。僕も久しぶりにスキーがしたかったので「どこに行くつもりだったの?」ときいてみた。するとなぜか急にトーンダウンする。「長野…かな」
▼けして意地悪でなく、ただ純粋に興味があったので「長野のどこ?」と畳み掛けることになった。「…まだ決めてない」なんだか雲行きが怪しい。「じゃあ今までに行ったとこは?」「こっちにきてからは行ってない」「…」気を取り直して「地元ではどこに行くの?」今度は間髪入れず「蔵王」と返ってくる。有名なスキー場だ。
▼僕は彼が手で角度を作りながら「45度の直滑降だよ」とか「スキーの板は自分の身長に合わせて作る」といった話をするのを、途中からただ黙ってきいていた。そこに僕の興味を引くような話は一ミリもなかった。その後もスキー一般の話になると俄然饒舌に、具体的な話になるとしどろもどろになる彼が嘘をついていると断定はできない。
理研が一連のSTAP細胞関係者の処分を発表した。主犯の小保方晴子元研究員は最も重い懲戒解雇。既に退職しているので適用できないが、平たく言えばクビである。彼女は別の理研OBからもES細胞を盗んだかどで告発されている。事実だとすれば、彼女の主張する「論文上の悪意のないミス」どころかSTAP細胞という研究成果そのものが文字通り「ねつ造」されたものだったことになる。だが彼女が意識的に嘘をついているかはわからない。
▼これに類するものとしては、かなり以前のことになるが、「ゴッドハンド」と呼ばれた天才考古学者が発見した遺跡が、実は自分で埋めて自分で掘り起こすマッチポンプのでっち上げだったという事件がある。彼らはもう社会的には死んだも同然だ。自分を大きく見せたがる数多の人夫たちと同じ、歴史の浪間に沈み二度と浮かび上がることのない存在である。
▼忙しい最中、北村薫慶應本科と折口信夫〜いとま申して2」をなんとか読了。これは北村氏が若かりし頃の父の日記をおこした、テープおこしならぬ「日記おこし」である。前作が旧制神奈川中学から慶應予科までを描いたものなら、今回はタイトル通り慶應本科の三年間を描く。国文科の父は、ここで民俗学の巨星、折口信夫に師事し、詩人西脇順三郎に講義を授かる。
▼江戸時代から続く眼科医の家は、父の父の代から傾き始め、先祖からの土地を切り売りして急場をしのいでいる。家計がそんな状態の中、芝居好きの父が観劇して遅くなり家人に気兼ねするところなど、いつの時代も青春の姿は似たようなものだと思う。父がいっしょに会食している友人に不如意を気取られないよう、こっそりサイフの中身を数えるシーンがある。これも一種の虚栄心のなせる業だが、こんな虚栄心なら可愛いものだ。
▼「いとま申して」とは、父がある日息子である北村氏に書いてよこした「いとま申して。と皈りゆく冬の竹田奴かな」からきている。「いとま申して」は「おいとまします」くらいの意味だろうか。竹田奴は父が好きだった文楽(指人形のようなもの?)に登場し、これはその決まり文句らしい。つまりは自らの人生を多少自嘲気味に詠んだ句である。北村氏はこれを高校教師だった父の時世の句と受け取った。
淀川長治金子みすずと同時期に、それと知らずに雑誌「童話」の愛読者であり投稿常連だった父、歌舞伎に通い、友人と今観てきた芝居の評に勤しむ父、懸賞募集に応募して、文筆家として身を立てることを夢想する父に、僕は同情を禁じ得ない。虚栄心の塊のような僕も、少なくともオボカタさんやゴッドハンドやスキーの得意な人夫よりは北村氏の父の気持ちの方が理解できるような気がする。
▼余談だが、僕は西脇順三郎の自筆ハガキを手にしたことがある。田舎詩人だった母方の祖父が、不躾にも贈りつけたであろう自費出版詩集への返礼である。お愛想めいたことはもちろん、およそ内容についてのコメントは一切書かれていない極めて儀礼的なものである。そのハガキが、祖父から母を経て僕の手まで渡ったが、西脇順三郎が好きだった彼女に失恋した僕は、彼女からのハガキといっしょにそれを捨ててしまった。

土曜は初めてのとんかつ屋を攻める。効果トンテキで日曜の駅伝は中学生の部で下の子のチームが優勝した。溜ったウチゴハンを消化しておこう。