日曜日の使者

未明に小用で起きたらザアザア雨が降っていた。雨を境に空気が変わったのだろう。その後自分の寝床に戻るわずかな距離が面倒で、ついソファで寝たら朝方寒くて目が覚めた。昨夜は蒸し暑くてクーラーを入れただけに落差に身震いするほどだった。そんなに広い家でもないのに無精するからバチがあたった。
▼工場の仕事がないので、平日働いて日曜に休む健全なサイクルである。土曜の夕方、現場が終わった瞬間が一番うれしい。平日は事務処理に会社に戻るが、土曜くらいは直帰する。昨日は散髪に行った。それから帰って小腹がすいたので置いてあったおむすびの残りを食べた。誰もいなかった。
▼かけもちの現場のうちひとつはうちから近いので、昼は食べに帰る。近いといっても往復30分かかるから休み時間が半分になるが、それでもうちに帰った方が落ち着く。おかげでなでしこの二戦とも後半のいいとこを観戦することができた。さすがは女子。本気で優勝を狙うといって予選で惨敗した男子とは違い、連覇に期待を抱かせる連勝スタートだ。
▼今日は朝から気温が上がらず寒い一日となった。午後からヨガイベントのある妻と、午前中のうちにショッピングセンターで買物。いったん短パン+ポロシャツ+サンダルになってしまうと、多少肌寒くてももう元には戻れない。僕もそうだし他の買物客もそうだった。たまに気温に相応しい恰好(ジーンズ+長袖)もいるが暑苦しく見える。
▼土曜の朝から遊びに出かけた上の子が、日曜の夜バイトが終わるまで帰らないはいつものこと。妻によると、まず土曜の昼に彼女とデートし、次に夜通し遊んだ友人といっしょに日曜は朝からバイトが始まる夕方までスーパー銭湯で過ごしているらしい。無為の極致だが、紛れもないわが子だ。部活がオフの下の子は、午前中中学の陸上部の後輩の試合を観に行き、夜は中学の野球部の仲間と焼肉。
▼妻のいない(誰もいない)午後はウトウトしながらカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を読み進める。今日の日経朝刊の連載「科学と芸術の間」で、執筆者の福岡先生が一番好きな作家にカズオ・イシグロをあげ、河原温の作品「日付」シリーズと並んで記憶を扱う作家として紹介していた。代表作「わたしを離さないで」のクローンを支えるのは子供時代の記憶だという読み方はできなかったな。
▼貴重かつ最大の楽しみである土曜の夜から日曜にかけて、友人とずっとメールしていた。
ちょっと前に不安定になって入院したことは触れた。精神を病んでいるというが、以前とそう変わらない気もする。もう何年も会ってないし、直接話すわけでもないから記憶の中の相手とやりとりしているようなものだ。勢い似たようなやりとりになる。きっと僕と彼の関係性がそういうものなんだろう。
▼入院して2週間。その間計3度の日曜があり会いに行く機会があったが、いずれも妻にとめられた。「この手の病気は治るものじゃない。それなりの覚悟がないとこっちがあてられるよ。家族でもない人間が関わるべきじゃない」という。メールにはひどい内容のものもあったが、以前からそうだったと言えなくもない。正直はかりかねている。
▼子供たちが二人ともいないので、夕食はヨガイベントから戻ってきた妻と最近近所にできたタイ料理店に行ってみる。チキンバーにガパオに春雨サラダにトムヤンクンを注文。



タイ料理は初体験だがとても美味しかった。辛さと酸っぱさと甘さの混じった不思議な味だ。そこに香草のニオイが加わる。スパイスのおかげですぐに汗ダーダー。寒かったのでちょうどよかった。
▼うちに帰りNスぺの「沖縄戦全記録」を見る。最初から最後まで、どこか別の時代の別の国の出来事のようでピンとこなかった。どんなにうまく作られているように見えても、結局は戦争を知らない世代が作った番組を戦争を知らない世代が見ていることに変わりはない。真に迫る方がおかしい。
▼我々の記憶は忘却の霧に覆われている。子供時代のささやかな記憶が、苛酷な運命から人の心を救う場合もあれば、現在の豊かさを追求するあまり、民族の悲惨な歴史を忘れる選択もある。

金曜は手羽唐に肉巻。木曜に加えヨガのコマが増えたが、さすがに連続カレーはなかった。

昨日はクリームパスタ。夜再び通り雨。梅雨だ。