梅雨寒

降ったりやんだりの天気である。晴れマークでも陽が差さない。カラ梅雨にドカ雨の多い昨今、久しぶりに梅雨らしい梅雨のような気がする。日中も気温が上がらず、夜は寒いくらいだ。しつこい風邪がようやくぬけたのに、またひきそう。
▼空模様のせいか、今週はなんとなく調子が上がらない。月曜日、台湾帰国以来3週間ぶりに水虫の皮膚科を受診したが、大混雑で20時になってしまった。やはり足のイボで受診した上の子といっしょに待つこと2時間。19時になったとたん、それぞれ4、5人ずつくらいいた看護婦と受付が1人残してみんな帰ってしまった。まあ女性は家のことがあるから、混んでるから残るというわけにはいかないのはわかるが。
▼爪専用の新薬が合わないので、先生と相談して今後の治療方針を決める。血液検査は内服できない結果ではなかったが、副作用が恐くて効果のない従前の外用薬をお願いした。つい「効く薬は副作用があるから」と漏らすと、意外にも先生が反論する。「そんなことはありません。何百人と使ってこんなになったのは○×さん(僕)だけです」。なにもそんなムキにならなくても…
▼火曜は退院した友人に鰻を送る。のしに「快気祝い」と書いてもらったが、考えてみればこれじゃあ僕が病気だったみたいだ。それはさておき、そのためにコンビニでお小遣いをおろそうとしたら、あるはずのお金がない。びっくりして妻にメールすると、「たった今おろした」という。「まちがえて余分にいれたかと思って」って…。怒りで目の前が真っ暗になった。
▼水曜は某ゼネコンの安全大会で午後から出張。余裕で出発できるはずが、現場の危険作業がなかなか終わらず結局遅刻してしまった。見渡せば会場の九割方はノーネクタイだ。クールビズも浸透してきたな。協力会のシャンシャン総会→安全大会→懇親会と、みっちり午後中続く。会場の一番後ろの席で、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。全くなんて人生だ!
▼こういう会でも、いつの間にか自分より若い人の方が多くなった。専務とか若社長とか、要するにゼネコンの下請業者の二代目だ。僕らのような雇われの番頭とは毛色が違う。浅黒く日焼けし、テカテカの髪を撫でつけ、ストライプの背広の胸元にゴールドのネックレスが光っている。趣味は悪いが金はありそうだ。
▼彼らは学校にいる間は目立たないが、ひとたび社会に出ると水を得た魚のようだ。自分の家族を養うのがやっとの僕に比べ、従業員とその家族の面倒までみる器量がある。彼らにはお金を稼ぐ力が備わっているが、経済活動のない学校では手持ちぶさただ。だから成績がいいといきがっている連中を鼻で笑って死んだフリをしている。そのことを今、僕は思い知らされている。
▼よその会社の尊敬する先輩に誘われ、地元に戻って軽く一杯。17時半スタート19時解散の懇親会は早すぎると思ったが、解散後新幹線で地元に戻ればいい時間だ。この2時間のタイムラグがよくない。最初はその気でもだんだん酔いも醒める。お酒より、すっきりしたジュースが飲みたくなる。お店はマスターが一人でやってるバー。山粼の18年にボーモアの?年にグレンドロナックの?年でしめて解散。正直山粼が一番うまかった。
▼うちに戻ると初アマゾンで前日注文した矢部宏治の「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」と山粼佳代子の「ベオグラード日誌」が届いている。超早くて便利だが、ふとカバーがないことに気づいた。何事もいいことばかりというわけにはいかない。「沖縄・米軍基地観光ガイド」は写真ばかりで読むとこはほとんどない。沖縄という土地は写真向きかも。ここは光の島だ。その分影も濃い。今年の木村伊兵衛賞の写真集も買おうかな。
▼木、金は残業。来週の社員旅行のシワ寄せだ。帰った後がもっと怖い。今回は国内と海外の候補地の希望者がちょうど半々だったので、前後半で行先も分けた。台湾がかぶらなくてよかったが、渡された旅程は自由時間ゼロ。いくら眺めても面白くなる要素がひとつもない。同じ場所に二度行った方がよかったかも。


月曜はカラアゲ、火曜はガパオライス、水曜会合、木、金は妻がヨガ教室で写真なし。
▼金曜恒例のドキュメント72はタイムリーに沖縄のドライブイン
友人からさっそくお返しの豚まんが届いた。きれいな文字でしたためられた奥様の御礼の絵葉書入りだ。さて、僕は何処へ行くのだろう。もっとあたたかい方へ。