閏年2月29日

先週は随分と寒かったが、週末になって少し緩んだ。そして今日は雨が降った。明日はまた冷え込みそうだ。こうして少しずつ季節は春に向かって歩んでゆく。ゴールまであと少し。今が踏ん張り時だ。今年は閏年である。春までの道程が例年より一日長い。その一日が長く感じる。
▼お義父さんが亡くなると同時に圧迫骨折で入院したお義母さん。昨年末に退院して以来順調に回復し、一人で梅を見に出かけるまでになったそうだ。ただ一人娘が帰ってくるのを待ちわびる日々に変わりない。次に妻が帰省するのは来月末。桜の咲く頃だ。もう納骨である。
▼相変わらず忙しい日々が続く。こう忙しいと、やってる仕事の全体像もつかみにくいが、ふと「自分はいったい何のためにこんなことをしてるんだろう」という根本的な疑問にとらわれて立ち止まってしまう。ややあってようやく、自分には家族があり、おいそれとやめてしまうわけにはいかないということを思い出すのだ。
▼そんな中、水曜は大阪の友人夫妻のところに遊びに行ってきた。在外の仲間が帰国しているということで、その日は取引先のスポーツ後援会の会合があったが急きょキャンセル。現場をしめて新幹線に飛び乗り翌日の始発で戻る強行軍だ。突然押しかけて奥さまにもご迷惑をおかけした。
▼彼とは大阪の友人が名古屋勤務の時以来だから、かれこれ7、8年ぶりだろうか。作夏訪れた大阪の友人もそれくらい会っていなかったのだ。互いに髪に白いものが混じり、ボッコリおなかが出て、外観はかなり変わっているはずなのに受ける印象はまるで変わらない。それはきっと僕も同じだろう。要するに三人とも子供なんだね。
▼5年ほど前の彼の結婚式には、ちょうど資格試験が重なって出席できなかった。それで今回わずかばかりのお祝いを包んだ。彼らとの縁をつくってくれた同じ高校の友人が、やはり僕の結婚式に出られなかったのだが、それから2年ほどたって再会した時にお祝いをくれた。彼がそんなことをするとは思いもよらなかったので(それもおかしな話だが)、とてもうれしかったことを覚えている。もちろんお金のことじゃないよ。
▼また、彼のおかあさんが、僕たち夫婦の写真入りの結婚報告はがきに「とてもかわいらしいお嫁さんですね」と書き添えた返事をくれたのも意外でうれしかった。当時は妻の魅力は僕にしかわからないと思っていたので(それもおかしな話だが)。こういう小さなうれしい出来事のひとつひとつが僕の人生を形成していると思うと、自分は恵まれていると感じる。水曜の晩もそんなひとときになった。
▼土曜は客先の担当者と某工事のアゲ。二人きりでは気づまりだとお互いにひとりずつ誘って四人で何の会合だかわからなくなった。今月竣工した金額的には10倍以上の今期一番の工事の方は、担当者に打ち上げを提案したが断られた。これから受注する案件でもなし、その人も定年前でそんな警戒する場面でもないのに堅い人はどこまでも堅い。
▼すると日曜に同業者と立ち話していて「購買の○×さんが業者と飲んでるとこ見られて飛ばされた」という話をする。その人とは何度か飲んだことがあるので、ふと自分が原因ではないかとヒヤッとする。お礼のつもりが相手の不利になるようなら逆効果だ。ていうかこういうことで目に見える具体的な効果があったことなんて一度でもあっただろうか。やって誰も得しないことなら一切しない方がいい。バカバカしい。
▼今日は四年に一度だけ巡ってくる日。例年なら存在しない日。つけたしのような、オマケのような日。時間調整のために作られた一日だ。そのまま放っておけば四年で一日ずつずれて、百年で25日ずれることになる。そのまま放っておいても人が一生の間に気付くズレではない。それなのにそのズレを放置しない人間がスゴイと思う。
▼僕なら放っておく。千五百年くらいで季節がぐるっと一周しても全然かまわないけどな。ちゃんとしすぎるのもどうかな。堅すぎる人も疲れる。

月曜菜の花と牛肉炒めに中華スープ。

火曜餃子と大根とサラダ。水曜大阪。木、金妻がヨガ。土曜会合で写真なし。

そして昨日はクリームペンネに菜の花と牛肉炒め。写メを送信しながら妻が「あら、メニューにかぶりがおきてる」と言っている。それくらいでいい。