問題意識

一週間おきに雨が降り、厳しい冷え込みと春のような陽気が交互にやってくる。典型的なこの時期の気候だ。年度末工事もあとひと月。無事に乗りきることができるだろうか。
▼正月以来の休日だった先週日曜の翌日はいきなり午前さま。お店はどこも閉まっているので帰りにコンビニで弁当を買って帰った。ひと昔前のコンビニといえば、高いわマズイわでテンションだだ下がりだったが、最近は随分リーズナブルになった。味の方は食品スーパーの惣菜弁当より格段に上。とりわけセブンはレベルが高く、外中食産業全体でみてもコスパは群を抜いている。
▼しのぎを削るコンビニ業界だが、ここにきて優劣がはっきりしてきた。みんなよくわかっている。セブンの駐車場は常に満車だが他はガラガラだ。以前はコンビニなんてどこも同じだと思っていた僕も、最近は探してでもセブンに行きたいと思う。流通網の関係でまだ出店していない地域に進出すれば、一気に淘汰されてしまいそうだ。
▼人気の違いは一番には商品開発力や店舗構成にあるのだろうが、単純にロゴの配色やイメージも大きいと思う。セブンの暖色系に対し、ライバル2社は寒色系。きっと夏の売上の方がいいに違いない。しかし全体としてはマイナスだと思う。それとファミマの店内に入った時に鳴るあのメロディはなんとかならんかな。閑古鳥が鳴いてるみたい。テンション下がる。
▼火、水は、寒くなると早くうちに帰る習性のある子どもたちと、二夜連続で三人そろっての外食。まちがいがないところで近所のとんかつ屋の名店のロースかつに韓国料理屋のタットリタン。あっという間に諭吉先生が去ってゆく。そして木曜は二週間ぶりに妻が戻ってくる。うれしいに決まってるのだが、新たな環境に心が適応しようとしてか素直に喜べない。
▼すると妻がこんなことを言う。「あなたたち(僕と下の子)本当によく似てる。私が実家から帰ってきたら最初のうちはなんかよそよそしいのよね。しばらく遠巻きにしてだんだん寄ってくる感じ。○○(上の子)は全然そんなことないもん。何日ぶりだろうが全く変わらない」と。やっぱりそうか…。
▼先日テレビでプロポーズ大作戦という番組を見て自分の感覚が変わったことに自分で驚いた。女性にプロポーズする男性の「お金がないから指輪は買えないけど…」みたいなセリフに「おいおい大丈夫かよ」とドキドキする。若い頃はお金がなくても愛があればへっちゃらだったはずなのに、今はお金がない=ダメンズと判断している自分がいる。それが世間の目であり、僕もそういう風に見られていたわけだ。全く知らぬが仏だね。
▼忙しさにかまけて積読の悪い癖が再発した。昨年末の目黒考二「昭和残影」、読み初めの中村稔「私の日韓歴史認識」、一橋文哉の「世田谷一家殺害事件」、ウェルベックの「プラットホーム」の四冊が読みかけで弁当バッグに入っているので重い。妻が帰ってきて弁当が復活したのでなおのこと重い。
▼まだ全部読み通したわけじゃないからこんなことを書くのはおこがましいが、年を重ねるとそれなりに理解力は増すと思う。例えば「私の日韓歴史認識」などは、若い頃は受容できなかったと思う。この本は中村氏が様々な書物から日韓併合に関する記述を拾いあげて紐解いてゆくものだが、なにも反戦護憲といった思想的な意味で言っているのではない。
▼中に萩原延寿の名前が出てくる。それを見て新聞連載の「遠い崖〜アーネストサトウ日記抄」が思い出され懐かしかった。ネットで検索すると1976〜1990に渡り朝日新聞に連載されたとある。すると僕がこれを目にしたのは、うちが朝日をとっていた時期、父が単身赴任で不在の間の小学校5年〜高校3年までの間ということになる。当時の僕は連載に興味が持てなかった。今なら喜んで飛びついたと思う。
ウェルベックの「プラットホーム」は現代(フランス)人にとっての(東南アジア)ツアーの持つ意味を問う。()内は日本やスキーバスに置き換えても興味深いと思う。ゴンクール賞の「地図と領土」も現代美術についてある程度の知識がないと読むのに苦労するかもしれない。何も難しい話ではない。僕もジェフ・クーンズもダミアン・ハーストも知らなかった。ラッセンなら知ってるけど(笑)。ただ現代(美術)において何がテーマかという問題意識は共有しているつもりだ。
▼大人気の朝ドラ「あさが来た」も、たぶん若い頃の僕なら見向きもしなかった。少なくとも結婚する前の僕にはこのドラマの持つ本当の意味はわからなかった。人間は結婚する前は学習しているにすぎない。結婚してから習熟するのだ。今、このドラマがヒットしている背景には何があるのだろう。それがわからないと、一億総活躍社会といっても掛け声倒れに終わる。

妻が帰ってきた木曜はヨガカレー。従って実質的に金曜が久々の妻の手料理で絶品カラアゲに絶品スパサラ。

そして今日はホタテのバター醤油炒めにミネストローネにミモザサラダ。妻は本当に優秀だ。50年生きてようやく自分がたいして優秀でもないことに気づいたさえない男が、これからどう生きるか。さて、それが問題だ。