秋立ちぬ

立秋からの猛暑がようやく収まった。僕の予想より少し早かったが、今年の暑さの峠は越えた。もっとも西日本は梅雨明け以降ずっと猛暑日である。オリンピックが終わる頃まではこの調子だろう。今年の夏はリオも甲子園も暑さもいっぺんに引けて随分さみしいものになりそうだ。反動が怖い。大丈夫かな。
▼久方ぶりの更新である。一時期滞っていた自由人さんがここのところ盛り返し、一方で春先にほぼ一年ぶりに復活した地方公務員女子ブログが、初夏の東京行以来再び途絶えてしまった。人生いろいろ。やっぱり東京は鬼門だな。面識のない僕でさえこれだけ(どんだけ?)心配しているのだから、彼女を知る人はみんな心配しているだろう。
▼この間オバマ大統領訪問後初の広島原爆投下の日があり、長崎原爆投下の日があり、その間に陛下のお気持ちの表明があった。リオ五輪と甲子園が開幕し、イチローが大リーグ通算3000本安打を達成した。個人的には妻がお義父さんの初盆で帰省して第七次合宿生活が始まり、連休工事に突入し、私事でたいへん恐縮ではあるが50回目の誕生日を迎えた。まあ、そんなところだ。
リオ五輪開幕の影響もあって、森達也氏の予想通りほとんど顧みられなくなった相模原障害者殺傷事件をもう一度おさらいしておきたい。この事件を障害者側の問題と捉えると話がおかしくなる。あくまで加害者青年の問題であり、それはとりもなおさず日本の若者の閉塞状況の表れだと思う。その意味でエリートの卵を狙った池田小事件と同じアモク型の犯罪であり、要するに挫折した若者による破滅型無理心中である。
▼事件のあった相模原という土地はあまり評判がよろしくない。中1集団リンチ殺人事件における川崎が日本のスラムだとすれば、相模原は都市部でも農村部でもない東京郊外、いわゆる三多摩地区の代表的存在である。スーパーとコンビニだけがやたらに多く、商店街はシャッター通りと化した日本の生活圏を象徴する地域だ。そのような日本の平均的な地域社会で障害者施設はどのような存在だったのか。
▼「行っちゃいけませんよ」どの共同体においても存在する障害者施設や精神病棟は、一般に子供の心に最初のタブー、最初の差別意識を形成する。惨劇の舞台は容疑者の自宅からわずか500メートル。施設は「足を踏み入れてはならない特別な場所」として、幼い頃から容疑者に明確に意識されていたはずだ。
▼一方で施設退職後に生活保護を申請していた容疑者は、教職の道を断たれ親に見捨てられた時点で、つまりこれから社会に出るスタート時点で既に行き詰っていた。地縁血縁の途切れた人間がこの国で生きていくのは想像以上に難しい。運送関係の最初の仕事がうまくいかず施設にたどりついた容疑者が、無意識のうちに「自分はこの人たちと同じだ」と考えたのは想像に難くない。事件はその事実を否定したい心理から生まれた。
▼子供は親の背中以外に人生の道標を持たない。家族という共同体が崩壊したとき、日本の地域社会に代わりとなるコミュニティは存在しない。親という水先案内人がいなくなったとき、我々の社会は若者に示すべき指標を持ち合わせていない。そして特別なコネクションのない普通の人にとって、家族は唯一のセーフティーネットである。だから子供はどんなに親に反抗しても、いつかそこに戻ってくるほかはない。その意味で大学デビューという容疑者の反抗期はあまりにも遅すぎた。
▼さて、暗い話題はこのくらいにして、快進撃の続くリオ五輪。メダル獲得数、金メダル数共にアメリカ、中国に次いで3位だ。ちなみに4位がイギリス、5位が韓国、6位がドイツ。ドーピング問題がなければロシアが上位に絡んだだろう。スポーツの優劣も国力に比例する感じだ。日本も国内の憂慮を国外の危機にそらし、国民の不満のはけ口をスポーツの高揚に求める普通の国になった。やっぱ暗いですか。
▼最近こそやっとまともになってきたが、金メダルを逃して表彰台で暗い顔をしているのは本当にみっともない。「柔道は金が使命」なんて、そんなこと本人以外誰も思っちゃいないことがわからんかな。「金じゃなきゃ銀も初戦敗退も同じ」なんて思い上がりも甚だしい。結果=実力を素直に受け入れるべきだろう。今回男子柔道は全員メダルを獲得したが、腐らず謙虚な気持ちで挑めば過去の大会でももっと拾えたメダルはあっただろう。
▼思えば僕も金メダルどころかオリンピック選手でもないのに、それと勘違いして不遇を嘆く人生だった。この年まで特に悪いこともせず生きてこれただけでももうけもんだ。家族を始め支えてくれた仲間に感謝しなければ。僕も五十。人生の盛りは過ぎた。今はもう秋。少しさみしい気もするが、これからだって実り多き季節が待っていないとも限らない。




遅ればせながら合宿前のウチゴハン


合宿前最後のデート。かき氷&パワースポット。


合宿中の孤食スンドゥプチゲに自分へのご褒美のトンカツ。