みんなの時代

政治についてちょっと意見を言うのは楽チンだ。ブログのネタも困ることはない。報道の人たちも楽だから政治をとりあげているのだろうか。「政治でもやっとけ」くらいの感じで。もう政治は国民の生活から直接関係ないものになっているのに。
▼世の中はにわか評論家であふれている。女子供以外は一億総評論家だ。女性と子供はそんなものがつまらないとわかっているので、スイーツやワンピースには夢中だが政治には見向きもしない。
▼しかし繰り返すが、ちょっと意見を言っても激しく言っても同じだが、責任のない立場ならなんだって言えるのだ。それはにわか評論家のおっさんから野党の党首まで全く同じである。
▼言ってる中身が正しいかどうかなんてどうでもいい。責任があるかないか、それだけだ。だから野党は野党であるというだけでなんだって言えるし、与党になったらとたんに誰でも歯切れが悪くなる。
▼世の中は全て権力闘争だ。政治家の全ての言動は為にするもので、自らが少しでも有利になるようにオラがたんぼに水を引こうとしているか、誰かの利害を代表しているに過ぎない。
公明党の支持層が学会なら、「支持層が労組の民主党に公務員のリストラはできない」と批判するみんなの党だって、いわば特定の団体に俗していない層=無党派層、ミドル(もっともタチが悪い層じゃないか?)が支持層だというにすぎず、責任ある立場になれば必ず歯切れが悪くなる。
▼歯切れがいい政治とは、理念の遂行のために他を切り捨てるということであり、そんなことは責任のない者か、原理主義者、独裁者しかできない。
▼今はその一見正しく、通りの良さそうに見えるものの声が大きい時代だ。みんなの党が人気があり、歯切れがいいのもそういう時代の一側面である。