ロハス

ダウンシフターズという言葉をご存知だろうか。元はアメリカでできた言葉らしい。どういう人たちのことを言うか、長ったらしい翻訳調の定義があるようだが、ようはスローライフの親戚みたいなもんだろう。
▼仕事の手続きで役所へ車を走らせていると、カーラジオからこの話が流れてきた。話の途中からではあるし、移動の合間のほんの短い時間だったので詳細はわからない。ただ実際のダウンシフターをゲストに迎え、ダウンシフトのビフォーアフターの話をきくという、よくある構成だったように思う。
▼そのダウンシフターの現在の職業は食べ物関係で、米づくりから自分でやり、食材にこだわった品を提供する、スローフードというか自然食レストランのようなことをやっているようだ。ビフォーは、おそらくは一流企業の商社マンかなにかだったにちがいない。
▼彼がこの減速しないと通れないくらい狭い道(皮肉)に入ったきっかけは、以前あくせく働いていた頃のある日、長期休暇をとって熊野の温泉につかっていると、突然「やめてもいいんだ」という啓示にとらわれ涙が止まらなくなったそうで、それが29の時だという。
▼こういう話を聞いて僕が思うのは、二つのことである。一つは「また食べ物の話か」ということ。食よりほかに興味ないんかいな。そしてもう一つは「あくせくしなくてもいいのは結局選ばれた人たちだけなんだな」ということ。誰だって「減速」したいのはやまやまだが、それをゆるされない。普通の人はあくせく働くだけで、長期休暇も熊野の温泉もない。ゆえに減速啓示を受ける暇もない。
▼しかしこの手の話は本当に記憶に残りにくい。今日のことなのにまるで定かでない。ダウンシフトの定義からダウンシフターの名前や職業までまるで覚えていない。「彼らの目指す高尚なライフスタイルは高尚すぎて既存の価値観で計れない」という意見もあろうが、僕は別の側面もあると思う。
▼端的に言って、彼が今何をしていて、これから何をしたいのかが見えてこないのだ。「自分の好きなことしかしない」「他人の評価は気にしない」と言いが、自分が好きなものや評価するものについての具体的な言及はない。
▼結局のところそれは「結婚して幸せな家庭をつくるのが夢」という女の子に似ている。それがいくらカッコイイものであっても、ライフスタイルそのものを追いかける行為は、陳腐で格好悪いものになってしまう。