愛と平和の神様

ふと気がつくと、いつのまにか毎年この時期になると、テレビやラジオや新聞で、いろんな人がジョンの命日にちなんで、ジョンについて言及するようになっていた。
▼今朝は起きぬけの新聞に10年来のチャリティライブの記事が載り、目覚ましテレビでは久下さん(ファンです〓)がニューヨークの自宅前を中継し、通勤の車中でカーラジオをつけると「イマジン」が流れてきた。
▼ほぼ全てのメディアが、なんらかの形で一応ジョンの命日を押さえておくみたいな。そこでは大勢の人たちがジョンの死を悼む様子が紹介されている。
▼だが僕の周囲で実際にそういう人を目にしたことはない。話題にものぼらない。みんな口には出さないが、うちに帰ってから古いレコードを引っ張り出して泣きながら聞くのだろうか。
▼30年前のこの日、ジョン・レノンは自宅を出たところで暴漢の凶弾に倒れた。享年40。生きていれば70で、うちの親父とほぼ同い年だ。
▼それがどういう数字かといえば、今日のキタナシュランで、一軒目に紹介された「火の見庵」(蕎麦)が創業70年。二軒目の「北京定食」(中華)が28年というような歳月である。
▼愛と平和について語ることは難しい。頭のいい人たちにとって、ナイーブに反戦を唱えるには、世界はあまりに複雑に見える。愛のある生活を平和に営んでいる人たちの場合、尚更実感がわかないだろう。
ジョン・レノンについて僕が思うことは、彼だけが愛と平和について自由に語ることを神様からゆるされた、世界中でただひとりの幸せな男だということだ。それ以外の人は、エンドレスに流れる彼の歌を黙って聞くことしかできない。