共同幻想論

冬本番。本格的なラグビーシーズンの到来である。関東大学対抗戦は最終戦を終え、早慶明の伝統校が競い合った末に6勝1敗で並ぶという盛り上がりを見せた。関東、関西のリーグ戦も終わり、各紙とも来たる大学選手権の展望を占う記事が目につく。
▼早稲田の辻監督は知らないが、僕の記憶に間違いがなければ、今年十季ぶりに早稲田に勝利した慶応の林監督は、僕がラグビー熱に浮かされていた中学生の頃に活躍した伝説のロックだったし、明治の吉田監督は幾分若い世代になるが、明治黄金期を支えたウイングプレイヤーだ。
▼僕が購読している日経スポーツ面の今シーズン最初のラグビーに関する記事は、長く学生ラグビーの頂点に君臨し、平尾、大八木などの有名選手を輩出してきた関西の雄同志社が、今季ついに大学選手権出場資格を失うというもの。
▼そして先週は関東大学対抗戦を振り返る早慶明の特集記事。得失点差で優勝した早大伝統のバックスの走力を高める走り込み。古豪復活を印象づけた慶大伝統の捨て身のタックルに隠された相手の動きを予測するデータ分析。バックス出身の吉田監督がこだわる明大伝統の「前」への動き。
▼なんだか30年前にも読んだような記事だ。それぞれ「走り込み」「データ」「バックス」と新味を効かせてはいるものの、結局は「伝統」のオンパレードである。
同志社大の弱体化に見るように、この間三校ともに浮き沈みはあった。だが弱いときも強いときも病めるときも健やかなるときも「伝統」のチームカラーだけは変わらない。
▼それは我々にそのような見方を強いる言葉の力。その道のプロたる記者にさえ、異なる視点を持つ余地を与えない思考の枷。思えばそれは、ラグビーに限らない。他のスポーツも、他の紙面も、政治も経済も三面記事も、いつかどこかで読んだような記事だ。テレビでは、NHKもフジも朝日も日テレも、キャスターはみな同じ原稿を読んでいる。
▼いやいや、一足飛びに論を広げるのは僕の悪い癖。大学ラグビーはきっと特別なんだろう。それぞれに誇りを持って、先人たちが伝統と文化を守ってきた結果に違いない。
▼けど確か去年は優勝した今年4位の帝京や、一時期強かった関東学院大などは、トンガの助っ人以外に見るべきものはないんかな。30年前から「強い」と言われ続けていたけれど、それくらいじゃ伝統校の仲間入りはさせてもらえないらしい。
▼毎朝便座で新聞を読む僕は、こうしてあるべき世界と秩序を再構成される。通勤途中のラジオで補強される。帰宅後テレビを見て再度確認させられる。
▼伝統とは、やはり守るべきものというより、打ち破るべきものと考えた方がいい。たとえその先で目の当たりにする世界がどんなにひどいものであったとしても、今のままでは奴隷以下だ。つうかオレ、どうかしちゃったかな…