臨場

再開してからのブログが以前と違うところは、私事の記述が減ったことである。前のブログでは、青春時代の思い出、特に失恋の回想が多かった。三年間続いたエントリーで、ほぼ書き尽くしたのかもしれない。
▼日々の日常についての記述も少なくなった。仕事について書けばどうしても愚痴っぽいものになる。女性であれば料理のスナップやレシピを、男性でも食べ歩きなど載せたら楽しいものになるかもしれない。
▼勢い時事ネタが多くなるが、正直なところまるっきりの他人事なので、途中でなんでそんなことにコメントする気になったのか、自分でもわからなくなって嫌になってしまう。やはりたまには100%私事全開でいかなくては。
▼先日、遅い時間に会社でメガネを拭いていたら、メガネがちょうど真ん中で真っ二つに折れた。真っ二つというと派手だが、そんな派手さは全然なくて、ポロッという感じで、まるで落ち葉が枝から離れるように二つに折れた。
▼勤続疲労以外の何物でもなく、「今日までよくがんばった」と労ってやりたい気持ちでいっぱいだ。この件で僕は二つの事を思った。ひとつはメガネにも(何にでも)相性があり、それはほとんど運命的な出会いだということである。
▼今回事切れたメガネは、もう五年以上前に安売りで二つ同時に買ったうちの一つである。もう片方は、買ってすぐにお祭りのとき集団の下敷きになって壊れた。法被姿の男衆の一団が通り過ぎた後は跡形もなく、骨も拾ってやることができなかった。
▼以後この双子の片割れはスペアもないまま、文字通りずっと僕を支えてくれた。途中何度か浮気してかけかえたこともあったが、新しいメガネを僕はすぐに海や川に流したり、寝ぼけて踏み潰してしまったりして、結局また元の鞘におさまることになった。そうして早五年を越えるつきあいである。つくづく縁を感じる。
▼もうひとつ思い出すのは、学生の頃バイトしていた空調屋のバンが、ある日突然走行中にプラットホームごと縦に割れたエピソードである。その時僕はたまたま休んでいて、その壮絶な最期に立ち合えなかったのだが、社長の運転する助手席が長く僕の定位置だったので、その話をバイト仲間から聞いたときは、えもいわれぬ感慨にとらわれたものだ。
▼他人にはおもしろくもなんともない些細なエピソードでも、当人にとってだけ切実な思い出や瞬間がある。それは、そこそこ万人の興味を引くが、当事者以外の誰にとっても直接的には接点のないニュースの中の出来事と反比例の関係にある。
▼どんなに派手でおもしろいことでも、他人事は所詮他人事。人の一生にに光を当て、彩りを添えるのは、地味でも私事だけだ。どちらが大切か、年をとるにつれてだんだんとわかってくる。