タイガーマスクとその時代

孤児院に伊達直人の名前でランドセルや現金の寄附が送られる現象が頻発している。これは幼少年期にテレビでタイガーマスクを見て育った世代、つまり現在四十代半ばから五十代前半の、団塊団塊Jr.のちょうど中間に挟まれた世代による慈善行為と思われる。
▼バブル期に青春時代を過ごし、現在社会の中心的な役割を担うこの世代の特徴を一言で言うなら、それは喪失感だと僕は思う。そのことをこの覆面足長おじさん事件を通じて検証してみたい。
▼物心ついた頃には、東京オリンピック東海道新幹線の開通と共に高度成長も終わっており、学生運動の嵐のような政治の季節も過ぎ去った後の、言わば何もない時代に育ったこの世代は、常に喪失感を抱えて生きてきた。
▼♪温かな人の情けを(中略)知らないで育った僕はみなしごさ…ご存知タイガーマスクのエンディングテーマの一節である。♪白いマットのジャングルに…のオープニングに比べれば地味だが、これも正義のヒーロータイガーマスク通奏低音のように流れる、メインテーマに違いない。
▼振り返れば、当時の人気アニメには「みなしご」の話が意外に多い。「母を尋ねて三千里」「みなしごハッチ」「キャンディキャンディ」「あしたのジョー」のジョーだってそうだ。
▼おそらくは時間軸にズレがある。アニメの作り手は集団就職で故郷を後にした世代で、みなしご話を作る動機があるが、受け手の子供たちにみなしごは少なかったはずだ。ただ、核家族化により、ルーツ=一族の歴史から完全に断絶された最初の世代ではある。それが親のいるこの世代にみなしご話が受け入れられた理由だと思う。
▼我々が失ったのは「歴史」である。つい昨日まであちこちに見られた橋の下のスラムは暗渠になった。親のいないたくさんのみなしごたちももういない。かわって、親ばかりがたくさん増えた。豊かさを手に入れる代わりに自らのルーツから切り離された親たちは、子供を産み育てる自信もない。
▼やがて成熟し、功成り名を遂げたこの世代の成功者たちは、自分から最も遠い者たちに奉仕することで、自らの喪失感を埋めようとするだろう。あるいは社会に広がる多くの新しいタイプのみなしごたち(独身者たち)への贖罪として。それがこの博愛精神の正体である。
▼歴史のない国アメリカでチャリティが旺盛なのも、基本は同じことだと思う。そのことがいいことなのか悪いことなのかは意見の別れるところだろう。