毎日が真剣勝負

大相撲春場所の中止が決定した。大麻、リンチ、野球賭博と不祥事続きの上、ここにきて長年疑惑がもたれていた八百長問題に動かぬ証拠が出てきたのだから、それもやむを得ないことなのかもしれない。
▼この問題を僕は、自分自身のある体験を抜きに考えることができない。誰しも人生を振り返れば人に言えないようなこともたくさんあるだろう。そのうちのひとつを初めて告白することにする。といっても特に今日まで保持し続けてきた秘密があるというわけではないが。
▼中学の部活動の最後の夏の大会のことだ。区内大会、市内大会と順に行われ、全国大会にコマを進めることができるのは甲子園と同じ各県一校である。我が校は、後年全国優勝二回、準優勝やベスト8入りを繰り返す超有力校だった。
▼ただ僕らの県はその種目で全国一レベルの高い激戦区で、強豪ひしめく県大会を勝ち抜くことの方が全国大会でベスト4に入るより難しいと言われていた。実際僕らが県大会の準決勝で敗れた相手は、その年の全国2位だった。誰もが我が校の実力を認めていながらも、僕らの学年までは全国大会出場の壁を破るには至っていなかった。
▼有名な指導者を頼って経験者が多数入部していた。そんな先輩たちとの体格差は大人と子供ほどの開きがあり、立ち向かって勝てるのどうのという域を超えていた。練習は厳しく、正直リンチまがいのことも行われていたが、今それをどうこう言うつもりはない。
▼話を元に戻そう。レベルの高い県内でも常に優勝を争うのは我が校を含め4校。その年、我々の実力は区内で敵なし、市内で二番手、県では三番手だった。大相撲の番付でいえば大関といったところか。そしてこの序列をひっくり返すことは奇跡に等しく、個人でもめったにない番狂わせを、団体で起こすのは不可能といえた。
▼区内大会前のある日、監督によばれた僕は、県大会までの組み合わせ表を見せられる。それによると、区内大会で優勝すると市内で別の区の一位の、僕らが勝てない学校と準決勝であたり、そこで負けると県大会では準決勝前に県下随一の実力校とあたるようになっていた。
▼「どう思う?」と聞く監督に、僕は「区内優勝、市内ベスト4を選ぶか、区内2位、市内2位、県ベスト4のどちらを選ぶかですね」と答えた。「おまえ、頭いいな」と監督は言った。前年数年ぶりに市内大会で敗退した我が校にとって、例年並みの県ベスト4は至上命題だった。
▼区内大会の決勝で、僕たちは全員わざと引き分けた。相手の大将だけは実力者で、本気で戦っても勝てなかったので、計算通り僕らは区内大会を2位通過した。あとは全て予定通りである。県の準決勝で敗退した後、その学校と僕らが市内大会の決勝で負けた相手との決勝は、代表戦でも決着がつかないほどの熱戦になった。その試合を負け残りで見物しながら、少し淋しい気がした。
八百長をしたという意識はない。ただ僕一人が誘惑に負けた。そんなことに仲間を巻き込んで悪かったと思う。なんの誘惑かって?それは区内大会の優勝より、県でベスト4の方が価値があるといったことではない。一試合だけでも真剣勝負を回避することができるということへの誘惑である。僕は、それに飛びついてしまった。
▼真剣勝負のストレスは尋常ではない。文字通り命を削る戦いなのだ。大相撲の八百長を批判している人のほとんどは、そのことを本当には理解していないと思う。つまり毎日が真剣勝負なんて、本当に可能なのかということ。たぶん普通の人には無理だ。普通の幕内とか十両には。貴乃花とか、白鵬とか、双葉山クラスの人じゃないと。
▼「八百長は絶対許せない」と言うあなた、あなたはそんな生き方をしているのですか?