春のあまいかほり

春と呼ぶには余りに寒い日が続いている。雛祭りを過ぎても桜どころか梅見にもまだ早く、ここ二三日は日本各地が大雪に見舞われた。だが季節は気象ではない。単に暑い寒いといった物理的なものを超えて、我々の五感に訴えかけてくるものが確かにある。
▼昔の人はよく知ったもので、二十四節季のうちのひとつ啓蟄という言葉は、そのへんのところをよく表している。虫や動物が春の気配を感じて冬眠の穴から這い出してくる頃の意だろう。動物たちは、多少雪が残っていようが気温が低かろうが、春の訪れに気づかないということはない。
▼春という一年で一番素敵な季節をどんな風に表現しようか。我々にもわずかながら動物の本能が残っている。それを人間の言葉に翻訳する作業は、本能的かつ理知的な才能の持ち主でなければならない。
▼それは例えて言うなら、交差点で信号待ちの際、きれいなおねえさんが渡ったりすると、思わず見取れてしまうような感覚に似ている。はっと気がついて慌てて辺りを確認すると、隣の車中の頭も同じ方を向いていてホッとする。あるいは運転中歩道にきれいなおねえさんが歩いているのを発見すると、思わずブレーキを踏んで減速しているが、それで事故にならないのは前後の車も減速しているからだ。
▼こういう時に「ああ春だなあ」と思う。つまり季節は、万人に分け隔てなく公平に、きれいなおねえさんの香を運んでくる風のようなものだ。才能ないですかね。ああ、恋がしたいなあ。