真のコスモポリタンを夢見て

上の子が先日持って帰ってきた卒業アルバムには、グエングエンホアンホアンといったタイかベトナムっぽい名前が散見されて少し驚いた。「この娘カワイイね」と指さした日本名の娘が中国人だったりしてますますびっくり。まるでマラソンゲートから入って来た日本人選手が外国籍で、黒人が日本国籍だったりする赤瀬川隼人の小説世界のようだ。
▼下の子が一時期友だちの名前をひっくり返して呼んでいた。わざとではなく本気なので少し遅れてるのかと思ったら、その子は在日ブラジル人だと上の子が言う。今やクラスの十人に一人は外国人だそうだ。そういえばフィリピン人らしきお母さんもよく見かける。
▼上の子も下の子も「それがどうかしたの?」という感じで、こちらが聞きとがめなければ話題にも上らなかっただろう。こういう時に世代間ギャップを強く感じる。僕らが子供の頃は40人以上いるクラスにひとりも外国人はいなかった。せいぜい在日朝鮮人の三世がいて、それと知らずに話していたらある日カミングアウトされるくらいだった。
▼今から九年前の2002年のワールドカップで、僕はたまたまある不思議なシーンを目撃した。とある飲み屋では大画面に韓国対トルコの三位決定戦の模様が写し出されている。トルコは日本が準々決勝で敗れた相手、お隣の韓国はワールドカップの共同開催国だ。
▼スクリーンの前にはハタチ前後の日本の若者たちが陣取り、揃いの赤いTシャツ姿で韓国を応援している。「テーハミングク」チャチャッチャチャッチャ。音頭をとるリーダーに続いて小気味よく手拍子が鳴る。
▼だが何か変だ。この違和感の正体はなんだろう。組織だった応援こそ統制がとれているものの、刻一刻と変化する試合状況にリアルタイムで反応する表情から読みとれるものは、どうやら応援とは逆の結果を期待するものだ。
▼そのことがはっきりしたのは、試合終了のホイッスルが鳴ってトルコの勝利が決定した瞬間だった。韓国サポーターだったはずの日本の若者たちの誰かが「ヨッシャー」と叫び、別の誰かはガッツポーズしていた。そして数人がハイタッチした後、また何食わぬ顔で「テーハミングク」チャチャッチャチャッチャ、ナンノコッチャ?
▼おそらく最初は縁遠いトルコよりお隣りの韓国を応援する目的で集まったにちがいない。しかしベスト8どまりの日本より既にひとつコマを進めている韓国が、もし日本が敗れたトルコにも勝ったとなると、もはや両国の力関係は誰の目にも動かしがたいものになる。理屈抜きにそれだけは避けたかったのではないか。
▼僕の親父や石原慎太郎が中国や韓国をキライなのは明らかだ。そこに葛藤はない。これが第一世代。もう少し下の団塊の世代から僕らの世代くらいまでは意識的に彼らと友好的であろうとした優しいサヨク。これが第二世代。そして第二世代よりは屈折していないが、時折無意識に愛国心がのぞく件の韓国サポーターたち第三世代。
▼グローバリゼーションの進展と共に少しずつ日本人のメンタリティーも変化してきたが、真のコスモポリタンの登場は第四世代まで待たねばならない。日常生活の中にロベルト君とパクさんとブルーノ君がいる僕らの子供たちに期待したい。そこには何の葛藤も屈託もない青空が広がっているはずだ。それはマラソンゴールのスタジアムから見上げる空のように開放感のある世界だ。