結論だけ言え!〜原発報道に物申す

物事を判断する物差しは人それぞれに違う。この春小6になる下の子の場合、足が早いかどうかで人を計る。夫婦で知らない人の話をしていると必ず「その人足早い?」ときくし、初対面の人には「50m何秒?」と質問している。息子の尊敬を勝ち得るには高い肩書や収入ではダメだ。町内運動会で一等にならないと。
▼震災による福島原発事故の影響で、福島県産の野菜や牛乳などから放射能が検出された。菅総理はカイワレの時のように記者会見でほうれん草を食べるパフォーマンスを見せてくれるかと思ったら、代わりに出荷制限と摂取制限が出された。東京の浄水場からも放射性物質が検出され、東京都は乳児の摂取を控えるよう呼びかけると共に、対象地区の乳児がいる家庭に500?ペットボトル3本を配布する。
▼国と都が決定した方針と対策についてあれこれ言うつもりはない。ただ気になるのは、地震発生当初の情報不足と混乱も味方して、行政サイドの情報提供が少しでも遅れると、これ以上の大罪はないというような雰囲気をマスコミが醸成してしまい、それがそのまま原発関連の情報開示にも引き継がれてしまったことだ。
▼テレビやラジオや新聞では原発放射能のことばかり報道している。日に何度も、繰り返し、局の解説委員や専門家を交えて入れ代わり立ち代わり。単位もベクレルやらシーベルトやらミリやらマイクロやらが飛びかって、数学が苦手でリットルと立米の換算もできない僕にはなんのことかわからない。そして最後に必ず「ただちに健康に影響を与える値ではありません」の決まり文句。最後に言うな最後に。
▼生のデータ数値や誰かが恣意的に決めた基準自体に何か意味があるのだろうか。乳児の指標100ベクレルも国際的に決められた数値はもっと全然高くて全く心配ないそうだ。政府も政府だが、国内に安全の安心の保険の保険みたいな指標があるのなら、その基準を無視するわけにもいくまい。そんな厳しすぎる国の指標とは別にまっとうな国際基準があるのなら、早い段階でビシッと紹介して無益な議論や情報の垂れ流しを収束させることこそ報道の役割しゃないのか?
▼マスコミの言い分はこうだ。まずは全ての情報を開示して、さらに生の情報により生じた国民の不安を取り除くために、より丁寧な説明が求められる。果たしてそうだろうか。ニュースでは、乳児世帯に配られるペットボトルの水が乳児の腎臓に負担のかかる硬水ではなく軟水だとご丁寧に説明していた。断言するが、その情報で安心する母親より不安になる母親の方がずっと多いことは間違いない。
▼下の子とお風呂で話す。「お父さんが小学生の時は?」「そうだなあ。7秒くらいかな」「はやっ」下の子は目を丸くする。50m7秒が早いのか遅いのか僕にはわからない。大人と子供の違いもあるし、専門家に言わせれば、現在の子供の身体能力は昔に比べると落ちているのかもしれない。数字にはいろんな意味があるし、学校の先生や子供の発育専門家、うちの子にとっては大事だろうが、多くの人にとってはどうでもいい話だ。
▼多くの人が知りたいのは、それが早いか遅いか、それだけだ。原発放射能も、普通の人が知りたいのは大丈夫か大丈夫でないのか、それだけだ。あとのことが問題なのはマスコミだけだろう。