内野手をめざせ!〜統一地方選に思う

▼草野球で重要なポジションは、ピッチャー、キャッチャー、ファースト、ショート、セカンド、サードの順だ。この順でボールに触る機会が多いからだ。外野に飛んだらホームランと思えばいい。ファーストに球が取れない人を配すとなかなかチェンジにならない。
▼未曾有の東北大震災からひと月が過ぎた。このような国難に際しては、強いリーダーが求められやすい。都知事選で御年とって78歳の石原氏が圧勝で四選を決めたのもその現れだろう。
▼脚本家、毒舌家の内館牧子氏は日経夕刊の自身のコラムで、この間の政府、東電の対応を歎き、国民的作家シバリョウを引き合いにリーダー教育の重要性を訴えていた。司馬日く「中国でエリート教育が盛んなのは、どうすれば中国民族が生き残れるかを考えてのことだ」
▼でもみんな中国のそういうとこがキライで人権無視とか批判してたんじゃないっけか?「そういうとこ」とは、国家の都合を個人の生命に優先させることである。オバサンの思想は危険だ。
▼僕がリーダー待望論に与しないのは上の意味だけではない。結局それは責任転嫁の一形態だからである。我々が衆愚でないならば、あらゆる結果をトップの責任だけに帰するわけにはいかないのではないだろうか。
▼今の日本は子供のソフトにそっくりだ。ピッチャーが四球を連発、キャッチャーは盗塁され放題、ショートが投げた球をファーストが後逸する、外野はただ見てるだけでまるでやる気がない、でも文句を言うだけで誰もピッチャーをやりたがらない、そしてまたぞろすごいエースで四番の待望論が出るみたいな。
▼国民が外野で物を言うのではなくゲームに参加するには、投票に行くしかない。そこでイマイチしっくりこない選挙制度について、ひとつ提言してみることにした。
▼今回の統一地方選は震災の影響をもろに受けた。浦安市の「選挙どころではない」というのもわからないではない。だからといって選挙は民主主義の根幹であり、むやみに変更するのは好ましくない。時の権力者に恣意的に運用されるのも困る。
▼そこで決められた開票日まで、任期四年の間いつでも投票できるようにしておき、累積票で当落を決めるというのはどうだろう。今だって一票の格差が五倍くらいあるのだからひとり四回くらい行ってもいいことにする。ただし組織票に利用されないよう一度に四票はダメ。熱心な人は年一回ずつ四回行けばいい。今流行りのネット投票は賛成できない。一票の重みはワンクリックとは相入れないからだ。
▼こうしておけば任期は自ずと四年に固定され、政策の継続性を云々されることもない。候補者がその時々の風向きを見て党を出たり入ったりということもなくなる。一方投票行動はその時々の国民の意志をタイムリーに反映したものになるだろう。頭にきたら投票所に走ればいいのだ。どうかな?