放射能、ダイオキシン、アスベスト

ついに東北に社員が派遣されることになった。実家が被災して、奥さん娘さん母親の三人を亡くした出稼ぎ社員の支援として、既に重機とダンプ、燃料を送っているが、本格的に社員を常駐させ、重機、車両も増派する。
阪神の時の片付だけの支援でも足かけ二年だったというから、今回は最低三年から五年、インフラ整備など復興事業にも関われば十年から十五年という長期戦だ。僕の年齢なら終わる頃には定年である。片道700?。おいそれと帰ってこれる距離ではない。ほぼ戻る当てのない転勤と考えていい。うちを新築したばかりで奥さんを置いていく同世代の社員の覚悟には頭が下がる。
▼これを書いていてふと思ったのだが、東北の震災による死者は女性の方が圧倒的に多いのではないだろうか。もしそうなら日本の産業構造のいびつさを示す証拠で痛ましい限りだ。地方には満足に仕事なんかないのだ。今度の復興需要でこれと逆のことが起きる。すなわち東日本への出稼ぎ民族大移動である。今や日本中に仕事なんかないのだ。
▼震災需要に群がる人々についてはまた別の機会に譲るとして、今回は有毒物質と国の姿勢について。福島原発事故の会見で思うのは、政府(官房長官)にしろ東電にしろ、なぜはっきりした物の言い方ができないのかということだ。一番最後の決まり文句「ただちに身体に影響を与えるレベルではない」をなぜ最初に、「ただちに」をとって言わないのか。「身体には影響ないから心配いらない」で済む話だ。
▼それは万一「後から」影響が出た場合、責任を問われる言質を与えないための、官僚の作文による国会答弁用語のようなものだ。国(官僚)の仕事は国民の生命と財産を守ることではない。訴訟による莫大な補償が国に損失を与えることを未然に防ぐことである。過去、国は水俣病を初めあらゆる公害、薬害訴訟で企業の側に立ち、被害者たちと戦ってきた。
福島原発周辺ではようやく遺体の捜索が始まった。捜索にあたる警察が着ている防護服は、焼却炉の解体や耐火被覆の除去作業でダイオキシンアスベストから身を守るために作業員が着る使い捨ての紙製の防護服と全く同じものである。
放射能対策について花粉症対策に似ていると言った解説者がいたが、対策でよくなった花粉症の人はいないだろう。大気汚染の防御はそれほど難しく、ほとんど不可能なのだ。完全に防ぐには呼吸をやめるしかない。ダイオキシンアスベスト対策も同様で、いろいろ細かい規定があるが実効性は疑問だ。真の目的は実際の対策というより訴訟対策だろう。肝心なのは作業記録の40年間保存義務である。
アスベストによる中皮腫の発症は30〜40年後とかなりのタイムラグがある。作業記録は、その時になって患者が訴訟を起こした際「国や企業は必要な対策をとっています。発症したのは作業員個人が決まり事を守らなかったためです」と言い逃れするための証拠なのだ。
▼実際目に見えない大気汚染から身を護るのは至難の業だ。解体にあたっては当該箇所を隔離することになっているが、仮設の足場とぺらぺらのビニールで外に空気が漏れないように密閉するのは物理的な制約を受けて不可能なことも多い。焼却炉に至ってはその焼却炉よりもっと大きなテントを建てて覆うなど、そもそも経済合理性に疑問符がつくようなやり方だ。
▼勢い形だけのおざなりの対応になる場合がほとんどで、濃度測定も写真管理もアリバイのためにやっていると言った方が自然だ。真夏にビニルハウスの中で宇宙服を着て作業すればむしろ脱水症状のリスクの方が高い。作業員自身「即死するならちゃんとやるけど…」と言うほど不自然で煩瑣で無理な対策なのだ。
▼その昔、無茶苦茶危険な環境で絶望的な労働を強いられるインドの貧困層のドキュメンタリを見たことがある。彼らの生命は虫ケラ同然だ。日本でも日当八千円で過酷な労働に従事し、プレハブのタコ部屋で将来のないその日暮らしを送る建設労働者が溢れている。安全と安心の国と言われる日本にも、僕の見たドキュメンタリの世界はすぐそこまで来ている。