しっかいじょうぶつ〜震災ブログ第?回

東北大震災以来片時もそのことが頭から離れない。いい加減な僕のブログもついつい震災についての記述が多くなる。
▼学生の頃、養老猛先生にどっぷりハマった時期がある。まだ先生が東大解剖学教室に在籍していた頃の、トガリネズミの生態や珍しい昆虫についての文章は、エッセーのつもりで読むと少し骨が折れた。
▼万年留年選手で暇を持て余していた僕は、先生から弟子筋の布施英利氏に流れ、そこからさらに例えばユリイカ夜想などの雑誌の死体特集を集めた。そういう本を所持してお濠端を散歩している時に運悪く職務質問されると、解放されるまで少し時間がかかった。
▼「バカの壁」でブレイクした養老先生はともかく、布施助手の名前は最近あまり聞かない。「もっと死体を!」と受け取られかねない氏の主張はあまり趣味のいいものとは言えないし、持論の「脳化社会」を繰り返す先生からも、僕は次第に離れていった。
▼震災からひと月たつというのに、膨大な行方不明者の数がいっこうに減らない。懸命の捜索にもかかわらず未だ見つからない不明者もいるが、震災後すぐに発見されたものの、身元がわからないまま埋葬される例も少なくないだろう。実際町ひとつなくなったようなところだと、その人をその人だと証明する人も物も戸籍もみんな流されてしまって、ただ遺体だけがそこにある。
▼死体は人か物かというのは、養老先生のエッセーでよく見かけたテーマだ。先生によれば、見る人の立場によってそれは人にも物にもなる。近しい人ほど物とはとても思えないし、家族にとって死体は、まだ生きてさえいる。
▼たしか先生は、立花隆か誰かに「解剖のようなことばかりしてるから死体が物に見えるんじゃないか」と冷血漢のように言われたことに反論して、自分にとってそれは物でも人でもない。死体としか言えない何かだと書いた後、「解剖学教室に献体される死体はたいてい無縁仏である。解剖の後、荼毘にふした遺骨が他人のような気がしなくていっしょに酒を飲む」というようなことを書いていた気がする。
▼先生の「脳化社会批判」や「自然は予測不能」という主張は、今こそ顧みる価値がある意見かもしれない。古今東西の芸術作品から江戸時代の腑分図、手塚治虫のマンガまで、人の身体の描かれ方によって、時代の身体観からひいては死生観まで解説する先生の手際は鮮やかだったが、もう忘れてしまった。僕が覚えているのは、ただなんとなくしんみりくる上のようなエピソードだけである。
▼「九相死絵巻」も、先生と弟子の本によく登場する図版だ。人の死体が時間の経過と共に変化していく様を、九つのステージに分けて描いたものである。よく言われる死後硬直であるとか、紫斑、ガスで膨れたり、そのうち腐って最後は白骨化する様子などが子細に写しとられている。
▼養老先生は、中世の人たちは日常的に死体をよく目にしていたし、それをどういう思いで見ていたかというと、「いずれ自分もこうなる」という目で見ていたのではないかと言う。先生は解剖学という職業柄、死体に日常的に接する自身の感覚と重ね、ある種の親近感を覚えたのかもしれない。それはもっと言えば「無常感」であるし、わかりやすく言えば「さみしさ」だと思う。
▼東北の被害が中世の「九相死絵巻」のような状況かどうか、現地に行ってない僕にはわからない。ただ当時はよく理解できなかった先生の言葉が、今なぜか思い出される。心細い縁の糸をたぐり、なんとか人としての顔を取り戻すことができればなによりだが、それもかなわず無縁のままの仏さまにも供養の花を手向けたい。合掌