地方不自由人日記

インターネットが繋がってからというもの、ついつい夜更かしをしてしまう。「東京自由人日記」はようやく2008年夏まで読み進めた。一晩で約半年のペースだ。この人僕と年は五つくらいしか違わないのにホント粋なオトナって感じでうらやましい。僕ももう少し年をとれば彼のように魅力的な中年になれるのかな。
▼これは「人は変われるか」というテーマと同じことだが、結論から言うと無理だろう。普通は年を重ねることによって、あるいはそれぞれの専門分野に精通することによって、人は「成長する」と考えられがちだが、それはちがう。
▼あなたがもし今のあなたなら、十年前も今のあなただったろうし、十年たっても今のあなたでしかない。自由人さんがブログに自らのライフスタイルを綴り始めた2004年は今から7年前のことで、当時の彼は現在の僕より若いことになる。もちろん当時から彼のライフスタイルは変わっていない。
▼いやもっとずっと若い頃から自由人さんは自由人さんでしかなかった。彼は僕より年長だから大人なのではなくて、そもそも最初から粋でカッコイイ大人だったのだ。その意味では僕なんかまだまだというより永遠の子供みたいなもんだ。そうこうしてるうちに人生終わっちゃうよ。
▼断っておくが、僕は彼が毎晩飲み友達と遊び歩いているような、そういうライフスタイルに憧れているわけじゃない。言うなれば彼が「東京人」であることがうらやましいのではなく「自由人」であることがうらやましいのだ。そして人が自由に生きるために一番必要なものは、そうでないという人もいるかもしれないが、僕は「お金」だと思う。
▼僕が特別珍しいわけではなく、こういう人は結構多いと思うが、僕もずっと「世界中の人が幸福でない限り個人の幸福はありえない」という宮澤賢治的なモラルのくびきに縛られてきた。だがそれは賢治ならともかく、普通はできない人の言い訳にすぎない。カッコイイ大人であるためには、頼れるオトコになるためには、なにより自由であるためには、経済力が必須条件であることはまちがいない。
▼世の中には、大人の男の醍醐味を味わうことなく生涯を終える人も結構いるだろう。そういう人生もアリだ。けど自分の人生がそれでいいのかどうか、決めるのは自分だ。他の誰のためでもなく、自分のためにがんばるしかない。