思い出すことなど〜カレー、卯の花、シュルレアリスム

今日は長男の部活もオフで家族全員お寝坊さんだ。妻も久しぶりにお弁当づくりから解放されてゆっくり眠れたことだろう。憲法記念日の今日も朝から仕事関係のコールが二件。あたしゃ疲れてんだからちょいとゆっくり休ませとくれ。10時に下の子が遊びに行くと、お楽しみの東京自由人日記タイムだ。あと半年で現在に追いついてしまう。もったいないからゆっくり読もっと。好きな読書でもこんな風に思った本ないぞ。
▼コメントやトラバを寄り道しながら読んでいると、東京でシュルレアリスム展が開催されていることを知る。途中で放り出してしまったが、一応僕が学生の頃主として勉強していたジャンルだ。当時のヒリヒリするような心持ちを懐かしく思い出す。
▼僕は文学プロパーでアートは専門じゃないが、それでもエルンストやデキリコの図版くらいは眺めたものだ。ダダイスム未来派、ロシアアバンギャルドなんかもイケメンの塚原史先生にならったなあ。卒論はレーモンルーセルを選んだっけ。みんないい思い出だ。だけどもし今僕に東京までシュルレアリスム展を見に行く余裕があったら、迷わず実家に向かう電車に飛び乗るだろう。シュルレアリスムは僕の中ではもう過去のものだ。
▼朝が遅かったのでお昼になるのが早い。朝ゴハンを食べたばかりだったが、お昼はお昼で何か口にしたくなる。妻がパパッと手早くイングリッシュマフィンのオープンサンドを焼いてくれた。

具はトマトとオジャガのニ種類。カリカリに焼けたマフィンで黒生をグイッとやる。最高だね。
▼午後一番で長男が出ていけば、夫婦水いらずの時間だ。近所のスーパーまで二人で歩いて買物に行く。ジャスミンの香が鼻につく。いい匂いだが少し強過ぎやしないか。

卯の花の匂う垣根に〜僕はずっと卯の花ジャスミンのことだと勘違いしていた。もう少し歩くとまた垣根にオカラのような花が咲いている。

しかし卯の花はなかなかない。お店は二軒まわったが、行き帰りの散歩コースの庭には見あたらなかった。
卯の花には思い出がある。高校の担任が、あるとき国語の授業で白い小さな花をひと房持ってきて、「これ、なんだかわかりますか?これがわかる人は僕は尊敬しますね」とおっしゃった。僕は落ちこぼれだったが、県下随一の進学校で、結局わかる人はいなかった。
▼「今は何月ですか?卯月でしょう?」四十人を越える秀才たちが、ぐうの音も出ない。先生の静かな声だけが教室に響く。ちょうど今日のようなはっきりしない天気だった。何十年たった今でもその時の空気まで覚えている。これこそいい授業の典型だと思う。親子、友人、恋人、夫婦、師と弟子…様々な人間関係の中で、そのような瞬間を一度でも残せれば、人生においてまずまずの仕事をしたといえるかもしれない。

▼今日はパートが夜勤の妻が、晩ゴハンにカレーを作っていってくれた。

晩酌のアテくらい自分で用意しなければ。一本57円のスーパーの惣菜焼鳥をレンジでチンし、クラッカーとトマトとチーズディップを皿に盛る。もう一品、風呂に入る前にキュウリを切って塩昆布と鷹の爪で和えたものを冷蔵庫に入れておいた。少し味が薄かったのでこぶ茶の粉末をふりかけてみた。我ながら上出来だ。

▼同じ市販のルーを使っても、それぞれの家庭でカレーの味は違うものになる。やっぱり実家のカレーとウチのカレーが一番ウマイ。妻の実家のカレーも友達の家のカレーもお店のカレーもイマイチだった。神保町のボンディとか高田馬場の夢民も確かにおいしいが、ウチのカレーに比べれば何かが足りない。それはきっと愛情としか呼べないスパイスなんだろう。