子供の日、大人の日

いよいよGWも最終日。案外あっけなかったね。まあ仕事してても一週間なんてあっという間だから、こんなもんかもしれない。ただ1日2日3日とずっとウチにいたので、生活にメリハリがなく三日間が別々の日だった気がしない。骨休めにはなったんだろうけど、人間て贅沢だね。
▼というわけで昨日は下の子をお供に二度目の潮干狩にチャレンジ。干潮の正午を挟んで前後二時間が頃合いと、潮もバッチリだ。舟で漁場には渡らず穴場を探す。車を駐車場にとめ、勘をたよりに路肩から海に下りた。しかし左右は行けども普通の砂浜で、潮が引いたらどうにかなるような気がしない。その僕らの目の前を大勢の客を乗せた渡船がひっきりなし往復する。
▼小さい頃から僕はいい加減というか、好んでヤマカンに頼る傾向があり、いろんな人に迷惑をかけた。小学校の時遠足の当日に生徒会の仕事で居残ることになり、級友と二人で先発したみんなを追いかけたことがある。目的地の城山の麓まで辿り着いた僕は、山頂のみんなに少しでも早く追いつこうと、いきなりカットインし、道なき斜面を登り始めた。
▼「やめた方がいいよ」「いや、近道だから」渋る級友を散々振り回した揚句やっとのことで這い出した道は、ヤブに分け入った地点と大差なく、遠足を終えておりてきたみんなとハチ合わせになった。「オマエら何やってんだ?」担任の問いには答えず僕は級友の方を振り向いて言った。「ほらね、ちょうどよかった」ゴメンネ飯田クン、僕はあの頃からちっとも変わっちゃいないや。
▼お昼になり、確かに潮は引いたが、海岸線が1メートルほど下がっただけで、小指の先ほどのアサリがバケツの底を隠すには程遠い。痺れを切らした僕は渡船が消えて行く方に向かって歩き始めた。もちろん海岸沿いにである。海に向かって歩けば入水自殺だ。
▼程なく道路下に積まれた検地石が直角に折れる場所があり、砂浜はそこで切れて海水に浸っている。だが折からの干潮で歩けないほどではない。石垣を曲がった。ズッコケタ。そこはほぼ渡し瀬の対岸にあたり、広大な干潟が広がっている。しかも芋の子を洗うような中瀬に比べ、人も疎らで荒らされていない。
▼先客のバケツを恐る恐る覗くやいなや、僕は最初の場所にいる下の子を呼ぶために踵を返して駆け出した。そこには市販のものより大粒の黒ダイヤが無数に輝いていたのだ。用意した熊手も軍手も草履もかなぐり捨てて、僕たち親子は四つん這いでアサリをとった。その方が、砂に隠れたアサリの感触がわかる。
▼近年にない大量のアサリを抱え、堂々の凱旋である。

夕食はボンゴレビアンコ。ウチは二日に一度はパスタで、トマトソースの頻度が高いので、僕がリクエストした。アサリの身はプリプリの肉厚で最高の晩餐だった。

▼一夜明けて五月五日は朝からお宮で町内のカレー大会である。震災の関係でお祭りが中止になったので、子供たちのためにお祭り男たちが企画したイベントだ。十升の米を炊き、百人前のカレーを大鍋で煮る。米を研ぐのも野菜を切るのも子供たちにやらせた。
▼10時開始、正午過ぎに食べ始め、午後1時には解散。めずらしく手際がよかった。味は二の次で作ったはずのカレーも僕の想像以上に売れた。子供たちもほとんどがオカワリしたんじゃないか。やっぱり外で食うメシはうまい。なんといっても季節がいい。暑からず、寒からず。いつまでも気持ちのいいそよ風に身を任せていたい気分だ。
▼片付けを終え、公会堂の二階に移って大人の打ち合げ。大手の酒問屋に勤めているお祭り会員が、いつも生ビールのサーバーを用意してくれる。超ウマイ。カレー二杯食った直後なのに野球場で飲むような紙コップで5杯も飲んでしまった。お酒のアテも初ガツオの刺身、焼き餃子、寿司、サラダとふんだんに用意されている。カレーオカワリしなきゃよかった。
▼隣り合わせのメンバーとアサリの話題でひとしきり盛り上がる。やはり今年は成り年だそうだ。みんな楽しそうに飲んでいる。お祭りのことになるとキチガイみたいになるが、まあ気のいい連中だ。今年は中止で残念だったね。せめて今日は存分に飲んで食べて帰ってください。男はいくつになっても子供みたいなもんだ。
▼ほろ酔い加減で帰宅して一寝入りした後、風呂に入って二度目のアサリパーティー

今日はボンゴレロッソにナン生地のピザだ。これにキンキンに冷やしておいたメキシコのスパークリング、サラ・ビベ・ブリュットを合わせる。
普段は飲まない妻も切子のグラスで乾杯。

▼サラっていうのはこの製造会社の奥さんの名前だそうだ。コルク押さえにも彼女の肖像がしっかりプリントされている。触発された僕もブログタイトルを「○○の愛妻日記」に変えていいかと妻にきいたらあっさり断られた。一般に信じられているのとは逆に、男性の方がずっとロマンチストで、女性は極めて現実的な生き物だ。さあ明日から真面目に働かないと怒られちゃうな。