合理主義という病

二三日降り続いた雨が上がり、また五月の清々しい空気が戻ってきた。台風の影響もあってか、昨日など天気予報では30度を超すピーカンを予想していたが、どっこい体感温度は涼しいものである。今日も雲ひとつないサツキバレだった。気持ちいいにも程がある。全く爽やかな五月の風に勝るものはないね。仕事なんかしてる場合じゃないよ。
▼しばらくの間楽しませていただいた「東京自由人日記」もついに今年に入った。あと二ヶ月余りで現在に追いついてしまう。リアルタイムでも追っかけているので、実質はもっと少ない。ああもったいない。その自由人さんの最近の日記に、気象庁かどこかが二十四節気を現代の感覚に合わせたものに変えるという新聞記事が紹介されていた。
二十四節気でいうと今は立夏、確かに季節はずれの暑い日もあったが、夏というにはまだ早い気がする。また、夏の暑い盛りに立秋と聞いて首を捻った人も多いのではないだろうか。昔の暦で言えば、123月が春、456月が夏、789月が秋で101112月が冬なのだから、実際の季節感からは二ヶ月くらいズレているかもしれない。
▼僕も二十四節気のことは手帖やカレンダーで知る程度で、全てを暗記しているわけではないが、もちろんこれには反対である。有り体に言えば「じゃあ年賀状に新春と書くのはおかしいんかい?」ということだ。自由人さんも「季節を先取りする感覚が先人の素晴らしいところ」というような意味のことを書いて疑問を呈していた。
▼どこかで誰かが、「ひところに比べて日本人がさもしくなった」という意味のことを言っていたが、今の日本をここまでダメにしてしまったのは、僕は合理主義の精神だと思っている。合理主義とは、「現実的でないものは合理的でなく、合理的でないものは現実的でない」という言葉もあるように、物事を現実に即して考えるやり方のことだ。
▼具体的には、「真夏に立秋なんてピンとこない」から、昔ながらの二十四節気を実際の季節感に合ったものに変えたり、本場所を自粛し、八百長を一掃して力士本来の技量を審査しなければならないから「技量審査場所」にするようなことを指す。もっと言えば「現実に即していないから」憲法を改正しようという動きもこれにあたるかもしれない。よくわかんないけど。
▼これらを実行に移した方が、より現実的で合理的であるにはちがいない。だが興ざめであることも確かだ。一見不合理に見えても、時流とは別次元に価値を置くものもある。それを現実に即していないという理由で改変すれば、世の中は便利になっても人の心は荒むだろう。
▼「人生にムダなものなんてなにひとつない」とは僕の先輩の言葉。振り返れば僕の人生、ムダな寄り道や回り道ばかりだった。学生の頃、その先輩と二人でキルケゴール研究会を作って「死に至る病」を読んだなあ。ちゃんと大学にサークル登録して掲示板に募集かけたけど、結局ただのひとりも来なかったっけ。
▼バブル全盛期に、遊ぶでもなく勉強するでもなく、そんなことばかりして落第した末に中退したのだから、これ以上のムダはないだろう。これもある種間違いなく病気にはちがいないが、合理主義や効率主義からは限りなく遠かったな。少なくとも今もこうして生きているところをみると、死に至る病ではなかったようだ。ついでに言えば、先輩と二人きりで輪読したはずの「死に至る病」の中身はきれいさっぱり忘れてしまった。こんなんでいいのか?いいわけないね。

12日はゴボウとチキンのクリームパスタ、フレッシュサラダのピザ。一番味が滲みにくいゴボウに下味をつけてあるので全体としては薄味でいいのだ。ピザは野菜を後のせにしただけで感じが全然違うね。

13日はついに今年初の冷たいソーメン。揖保の糸ならうまかったろうけど、このイオンのソーメンはなんだ?ソーキそばかと思ったよ。イオンのプライベートブランドは極端にやすいけど極端にまずいね。

つけあわせはタンドリーチキン風にタマゴサラダ。ワンプレートにするとカフェのランチみたいだね。

そして今日の晩餐はきのこたっぷりサラダに肉じゃが、主菜は冷やしうどんであった。ああシアワセ。