雨の日くらい仕事の話はやめて映画の話でもしようか

例年仕事が薄い時期だけど、なんとか細々と食い繋いできた。だがそれも今週で終わり。まあ仕事なんて話が出て形になるまで二、三ヶ月はかかるものだ。今日明日の仕事を今さらジタバタしても仕方ない。地道に仕込みを続けていこうか。
▼僕個人の仕事や家計が、日本経済全体にリンクしてないなんて思わない。今はなき以前のブログにも、日本の現状を考察するような内容のものをよく書いたものだ。だが恋の想い出は再録しても、震災関連と同様、政治や経済について語るのはなるべく控えようと思う。理由は前にも書いたが、個人的な実状をマクロのせいにはできないからだ。
▼結婚当初から家長としての自覚を欠いた僕は、転職を繰り返してきた。当然サラリーは最低賃金に近く、いつもぎりぎりの生活を強いられた。だがバブル崩壊後の日本経済の長期低迷や、年収300万時代の到来を唱える学者などを味方に、僕はそれを時代と世相のせいにしてきた。
▼そんなある日のこと、妻を相手にいつものようにニュースの解説でもしていたのだろう。それまで黙って聞いていた妻がやおら口を開いた。「世の中のことはわかった。でもそれはあなたが心配することじゃない。政治家か誰かがやるでしょうよ。あなたは私と子供のために稼いでくる気があるのかないのか、それが知りたい」とピシャリと言われ、酔いがいっぺんに醒めた。つまり、そういうことだ。
▼日曜は雨が降ったり止んだりの生憎の天気で、一日うちでダラダラしていた。テレビは今、震災関連以外はほとんどパイカレの番宣化している。僕はこのジョニーデップの大人気シリーズにとんと食指が動かないのだ。ハリソンフォードのインディジョーンズも右に同じ。
▼ついでに言えば、ジョニーデップ主演ということで、三夜連続地上波放送のトップを飾った「チャーリーとチョコレート工場」も、妻と子は大ファンで劇場公開以来何度も見ているのにまた見ていたが、僕は見る気になれなかった。まあこれは「シザーハンズ」や「バットマン」の監督ティムバートンの映像世界が暗くて、生理的に受けつけないという別の理由によるけど。
▼冒険たんや海賊物というジャンルそのものがダメなわけではない。スティーブンソンの「宝島」は、幼少期リトルドものでなく本編で熟読した僕のバイブルだった。僕はどちらかといえば本好きの部類に入ると思うが、おもしろくて繰り返し再読した本なんて、結局この「宝島」と芥川龍之介と「青春の門」くらいじゃないか。
▼僕にとっては、秘宝や財宝を巡って血生臭い殺し合いを繰り広げるナラズモノたちを描くには、小説という形式の方がリアリティがあったということだ。19世紀頃まではそのような世界もありえたと十分信じることができる。「昔々あるところに」という呪文がタイムマシン代わりになるような世界、すなわち歴史や神話を描くには、小説という形式が適している。
▼一方で映画というのは、過去の事実を描写するのに不向きなメディアだと思う。映像は、撮影された時間が現在である。お話の舞台設定や時代考証というのもあるが、やはり撮影時の時間が勝ってしまう。現役の有名な俳優が出演していればなおさらだ。だからどうしてもツクリモノ感が拭えない。映画の時間はリアルタイムに限るのだ。
▼逆に完全に現実世界と切り離されたお伽話、奇想天外な作り話なら映画化に向いていると思う。そのような非現実的な世界を、字面を追うだけで想い起こすのは、よほどの想像力がないと難しい。だが映像として可視化すればそれも可能だ。
▼史実の映画化で僕に許せる範囲は、1950〜60年代に制作された西部劇や、戦争ものならベトナム戦争かせいぜい第二次世界大戦まで。それ以前の時代を描くとなると、ユルブリナーやチャールトンヘストンの年代記モノまでワープしなければならない。実際僕はこれらの作品で、映画の中に描かれている時間を見ているわけではない。既に古典となった、ハリウッド映画特有の映像世界を見ているのだ。
▼後者の例をあげるとすれば、なんと言っても「スターウォーズ」。宇宙を舞台にした年代記で、これほど擬人化に成功した例を僕は知らない。これぞ誰もが手放しに楽しめるエンターテイメントだと思う。
▼映画にしろ小説にしろ、いずれフィクションにはちがいない。けれどその世界の中では破綻なく完結していなければならない。それがリアリティというものだ。パイカレに代表されるアドベンチャーモノは、リアルなファンタジーなのか驚嘆すべき現実なのか、その位置づけがいかにも中途半端だと思う。
▼まあそんなことどうでもいいね。メシだメシ!

22日はそぼろ丼に焼きじゃがのカレー風味。そして23日はスパゲッチボロネーゼにじゃが炒めサラダ。

じゃが炒めに入ったオリーブの塩気でレタスを食べさせる趣向だが、下の子がオリーブを嫌う。うちの子は見事に缶詰類を食べようとしない。つけあわせはイングリッシュマフィンのノリチーズのせ。これがないと何かちょっと物足りないということになる。ありがたや。