雨の日の日曜日は

最近ウチゴハンと家族の記述ばっかりだなあ。それだけハレの日が少ないってことだけどね。まあうちは妻も上の子も下の子も、全員キャラが立ってるからボクログファンのみんなも許してくれるよね?
▼さて、予報通り台風がきて運動会は中止。個人的に大事なイベントを控えていて、希望的観測から思わず晴れマーク出してしまうようなヒューマンな予報士が一人くらいいて欲しかったな。そんなキュートな予報ならハズレても文句は言わないよ!
▼僕が子供の頃は天気予報の精度って、もっと低かったような気がするなあ。雲行きが怪しいと、よく軒下にテルテル坊主を吊したもんだ。そういうおまじないの類の効果と、科学的な予報に対する信頼度の力関係がまだ拮抗していた時代だった。
▼今じゃ女子アナ並の人気を誇る気象予報士だって、昔はそんな職業や資格があることすら一般にはほとんど知られていなかった。だからって極端に不便な世の中だなんて誰も思わなかったな。日本人はこの四半世紀、なんだかどうでもいいことの精度を上げることに必死になってたような気がする。おっと社会批判はタブーだ。危ない危ない。
▼長男は部活の県大会で朝早いうちに隣市に出発。遅く起きるとタッチの差で妻はエアロビに行った後だった。しかたないから残された下の子と二人で白戸軒のラーメンを作って食べる。

こういうノベルティというかキャラクターグッズは、ある人にとってはプレミアがつくほど価値があるのだろうが、僕たち親子にとってはラーメン以外の何物でもない。躊躇なく開封し、食す。最近豚骨が続いていたので醤油味がうまい。
▼その昔オタッキーの友人が、本でも雑誌でも同じものをニ冊買うので不思議に思ったら、一冊は実際に読む用で、もう一冊はうちに帰って即ビニルコーティングしてしまっておくのだそうだ。自室の床が抜けそうになって専用の倉庫も建てたという。それじゃ全てに費用が倍かかるじゃないかと思ったら、保存された写真集にプレミアがついて一財産築いてしまった。もちろん彼に売却の意志はないが。
▼一口に同じ人間といっても、価値を置くものが違うと人生はまるで違った景色になる。週末の報道バラエティー三谷幸喜小林聡美夫妻の離婚を取り上げていた。三谷の女性問題とか噂はいろいろあるが、離婚の原因は「(女性問題など)これといった理由があるわけではありません。ただ少しずつ考え方や価値観の違いが積み重なってこういう結果になった」という連名のFAXの通りだろう。そして、そのことが一番悲しいことだ。
クボジュンファンの僕は日曜休みなら「うちくる?」を見る。今日のゲストは水谷豊主演「相棒」の鑑識役でブレイクした六角精児氏。四度の結婚に大借金と破天荒な人生を暴露されていたが、彼が学生の頃借りた高田馬場の黄色い看板の学生ローンてオレも借りてたとこじゃん。下北沢でのロケといい、とても他人とは思えなかった。ブレイクしてよかったね。
▼エアロビから帰ってきた妻といっしょに仲良く昼寝して夕方買物に。給料日が月末なので明日まで窮乏生活だ。散々冷やかして買ったのは98円のパスタのみ。意識してガマンするのは2、3日だが、ストレスは相当なもので、給料が出るとつい反動で無駄づかいしてしまう。お金も財布のゲートがあくのを待つ競争馬状態になってしまうんだな。
▼さて第78回東京優駿は重馬場の悪条件にもかかわらず一番人気のオルフェーブルが圧勝。カップルや女学生が競馬場をうろうろし、ワンカップ片手のオヤジが肩身の狭い思いをした空前の競馬ブームがちょうど僕が学生の頃、もう四半世紀も前のことだ。失恋した年の有馬記念、なけなしの金を全てオグリの単勝に注ぎ込んで年を越させてもらったのも懐かしい思い出だ。
▼こうして雨の日の日曜日は暮れていくのであった。ちなみにこのエントリタイトルは、「神様がくれた歌声」カーペンターズの中で僕が一番好きな曲「雨の日と月曜日は」をもじったものだ。あれ?今日はなんにもしなかったのに結構書けたな。ああブログしかすることがなかったのか。

今日のガーリストークはいつもの野菜チーズにビーフシチューの缶詰のせの二種。ビーフシチューというよりは肉ジャガが煮くずれしたものといった方が近い。

そしてメインはチキンとゴボウのクリームパスタ。出来映えはよかったのに、妻が同じものばかりでイヤだと写真を拒否。「じゃあ自由人さんはどうするの?そんなこといったらブログなんてできないよ」と言うと、「そんな人知らん!ブログなんてしなくていい!!」とキレられてしまった。ゴモットモです。