いくらなんでも不死身じゃないだろ

営業の途上、ムッスーの畑に寄る。ムッスーというのは、先年退職された職場の大先輩のことだ。我が家では時々野菜をくれる彼のことをそう呼んでいるのだが、その理由を書くと、匿名ブロガーの所在が特定される恐れがあるのでこれ以上書くことはしない。なんのことかさっぱりだね。
▼「年も年だし百姓に専念したい」と言って引退した先輩を頼って、僕は忙しい時にアルバイトで現場をみてもらったりしていたのだが、思いきり迷惑オーラを発散するので、だんだん頼みにくくなって、ここ数カ月ご無沙汰していたのだ。
▼元々今から二十数年前、まだ会社が草創期の頃、今の僕くらいの年で兼業農家として入社したらしい。ただでさえ朝が早い建設業界で、僕が眠い目を擦りながら現場に行く頃には、野菜を収穫したり、収穫した野菜を市場に出荷したりと、既に一仕事終えてきていた。
▼それでも現場では僕なんかよりずっとよく動いた。そして終業後うちに戻ると、また暗くなるまで農作業を続けた。こんなことも僕がきかなきゃ自分からは話さない。黙って朝早くから夕方まで、ほかの社員と同じように働くだけだ。
▼彼の一日は、朝4時には起きて5時から夜の7時頃まで働き、9時には就寝していただろう。つまりは食事と風呂を除けば、起きている間中働く人生だ。経済的に今ひとつ自立できない僕だが、そのためには彼のように二足の草鞋を履いてでもひたすら働き続けるべきなんだろうか。きっとそうなんだろうな。
▼野菜をビニル袋に入れながら、ムッスーは僕に「ガンなんだ」と言った。前立腺ガンで、転移していれば手術しても無駄なので薬と注射で治療しているという。会社にいる間は染めていた髪の毛も真っ白だ。「楽観も悲観もしていない」という彼に「気をつけて」と言って帰るしかなかった。
▼今僕が乗っている軽バンは、ムッスーが現役の頃乗っていたものだ。パワーウインドもFMラジオもついてない。なんだか乗り代わる度に社用車のグレードが下がっていくような気がするが、僕が担当している得意先に行くにはこれが一番便利には違いない。見栄はってもいいことひとつもないもんね。
▼勢いAMラジオを聞くことになる。当初僕はアーカイブじゃないかと耳を疑ったものだ。二十年以上も前僕が学生の頃、空調屋の社長が運転するバンの助手席で耳にしたものとほとんど同じなのだ。
加藤諦三市川森一ら怱々たるPが陣取る「テレフォン人生相談」。「純喫茶谷村新司」も「青春キャンパス」の頃と変わらない。尺八インスツルメント「永六輔の誰かとどこかで」。そしてトリは小沢昭一の「小沢昭一的こころ」と、看板コーナーが軒並み健在だ。失礼だが何人かは既に故人だと思っていた。
▼懐かしいなあ。個人的にはマエタケこと前田武彦のPが好きだった。これで「大沢ゆうりのゆうゆうワイド」と「吉田照美のやる気マンマン」でも流れた日にゃ、時をかける中年になっちゃうよ。まあやってることもそんな変わんないけど。
永六輔なんかパーキンソン病をおしての登板だ。彼らにいつまでも頼らなければならないのは、僕ら以下の世代がまだ頼りないことの裏返しでもある。ラジオの世代交代が進まないことはもっと注目されていいと思ってたら、先日日経夕刊のコラムで「小沢昭一的こころ」が放送一万回を超えたことが小さく取り上げられていた。

ムッスーがくれたもぎたての胡瓜と新玉葱で、妻がビールのアテを作ってくれた。

アボガドと胡瓜をザクギリにしたものをガードマンのワサビ醤油で和えた一品にオニスラ。

そしていつものイングリッシュマフィンにメインはトマトパスタ。

一足先に夏が来たようだ。