居座りの真実

一国のリーダーとして、普通なら国民の模範とならねばならぬ立場なのに、経団連会長に「子供の教育に悪い」とまで言わしめた菅直人首相は、史上最大の反面教師として後世に名を刻むことになるだろう。それは次のような意味においてである。
▼「オレはこんなにがんばってるのに誰も認めてくれない」
自分のことをこんな風に勘違いしてる人間は世の中にたくさんいる。物事がうまくいかないことを自分のせいではなく他人のせいにする。このような幼児性向は、普通は社会に出て人間関係に揉まれるうちに解消していくものだ。
▼ところで物事の善し悪しというのは、幼稚園児でもわかる。ただ、わかることとできることはちがう。世の中の難しさのほとんどは、この「わかっていても実際にはできないことの難しさ」のことだ。たいていのことはわかりきったことばかりだが、反対意見の人間も同じ数だけいるからだ。
▼日本が抱えている問題も、そのほとんどは既に答えが出ているものばかりだ。いずれは消費税を上げなくてはならないこと。加工貿易立国たる我が国が、保護主義自由貿易のどちらに重きを置くべきかということ。これに脱原発自然エネルギーへの転換の流れも当然入るだろう。だからこれらの政策課題は、できた時に初めて功績と言えるのであって、口にしてみたところでそんなことは酒場談議やブログの匿名放言の域を出ない。
▼何かを実現するために本当に難しいのは、意見や立場が違う人たちを地道に説得し、根回しをする泥臭い調整作業であり、そのためには長い時間と労力がかかるものだ。こう言ってよければお金もかかる。そうやって汗をかき、泥を被り、身銭をきることで初めて多くの人間の信頼を得ることができ、事が成る環境が整う。
▼政治家菅直人のキャリアを見れば、彼が社民連という小さな所帯の一代議士として「朝まで生テレビ」で好き勝手なことをしゃべっていた頃から全然変わってないことがわかる。大事を成し遂げるためには、思うように動かない官僚を叱責することも、世論の支持がないとみるやすぐに腰が引けることも厳禁だ。
▼なにより政治家の言葉は思いつきと思われてはならない。流暢でなくとも気負わず愚直にひとつのことを言い続け、信念の人と思わせなくてはならない。一国の指導者としての器とか実力云々の前に、人心が離れてひとりの人間にできることなど何ひとつないと知るべきだろう。
▼かく言う僕も、薬害エイズ問題などで正論を言う菅さんの方が、裏で何をやってるかわからない実力者の小沢さんなんかより好ましく感じていた国民の一人だ。しかし菅さんが薬害で手柄を立てて被害者の身体からエイズウイルスが消えたわけではない。政治家の資質とは、真相究明や官僚と闘うことより、たとえ非科学的であろうと、被害者一人一人の身体からエイズウイルスを消そうと本気で考えることだ。
▼理屈はみんなわかる。でも世の中は理屈じゃない。そのジレンマに悩む人の特徴は、自分だけが物がわかっていてあとの人はみなわからずやだと思うことだ。そしてそういう思考形態の人は僕や菅さんを含め案外多い。いわゆる普通の善良な市民のほとんどがそうだ。
▼我々は「お金がなくても普通のサラリーマンの息子が総理大臣になれる世の中」の幸福と不幸を今一度天秤にかけてみた方がいいのではないか。そして菅さんには僕の座右の銘でもある次の言葉を送りたい。世の中にはいろんな人がいる。「自分だけが人間じゃない」