シンプルに考えよう

まだ夏も始まったばかりだというのに、もう熱中症だ省エネだと大騒ぎしている。いったいどっちなんだ?僕的には今のところ去年なんかより全然涼しいと思う。気温が5度違うと体感もだいぶ違う。35度を超えればさすがに参るが、30度超えたくらいなら全然平気。夏は暑いのが当たり前なのだ。今はまだ入道雲も平身低頭している。蝉の声もきかない。夏はこれからだ。
▼だいたい僕が小さい頃に熱中症なんて言葉はなかった。そして僕自身も含めて真夏のカンカン照りに一日中外で遊び回って日射病になる子はたくさんいた。水の事故も併せて、夏に亡くなる子供の数は今よりずっと多かっただろう。お盆に親戚が集まって法事があったり、夏は子供心にも彼岸がぐっと近づく季節だった。
▼ここには殺人や凶悪犯罪の数と同じ法則が働いている。実際の数字は戦後一貫して減り続けているのに、世間一般の感覚としてはむしろ治安は悪化している。マスコミの喧伝も一因だが、社会全体に広がる漠然とした不安が落とす心理的影響が大きい。現代の日本人がいろんなことをほとんど神経症的に恐れているのは、僕らが希望のない社会を孤立して生きているからだ。
佐賀県東松浦郡の、半島の入り組んだ海に臨む素晴らしい眺望を見たことがある人はいるだろうか。十年以上も前、役所の募集広告を見た僕は、妻と幼子を連れて移住するつもりで町役場を訪ねた。玄海原発のことは不勉強にも知らなかった。ただ愛車オルティアを駆って蛇行する道をドライブしたことだけが忘れがたい思い出となった。
▼この美しい島嶼を舞台に繰り広げられているゴタゴタの本質はどこにあるのだろう。「原発反対機運に乗じて自らの延命を図る首相が突如ストレステストを言い出して電力の安定供給という公共の福祉のために断腸の思いで再稼動を決断した地元自治体の意思と経産省の努力をパーにした」「九電と原電交付金事業の恩恵を受ける実弟経営の土建屋と同体の町長が苦渋の決断に見せかけたパフォーマンスに、九電、経産省、県知事、地場ゼネコンなど原発利権関係者がのっかった茶番」
▼どっちもどっちだ。どっちも主演男優賞もののパフォーマーだ。ただ原発事故が起きれば、福島と同じようにあそこには住めなくなる。あの美しい景色も映像でしか見ることができなくなる。あの地に立つことはできなくなる。だけどそれも、そこに住んでいる人以外にとっては直接は関係のない話だ。だからいつまでも喧々囂々の議論になる。そこに住んでいて、利害関係のない人にとっては極めて単純な話なのだ。長期的も短期的もない。答はノー以外ない。
▼水虫の治療と平行して定期的に血液検査をしているが、二回目にして早くも肝臓の数値が悪くなった。合コンでバカ飲みして割とすぐの採血だったので、お酒のせいかもしれないということで、ここ一週間飲んでない。

そんな昨日のウチゴハンは、豚しゃぶとろろ蕎麦におにぎりとパンプキンサラダの夏バテ防止メニュー。繰り返すが、まだまだ夏はこれからだ。