センチメンタルな旅

夏になると年々ひどくなる熱中症騒ぎについて、「夏は暑くて当たり前」と、日本人の神経症的過剰反応を揶揄するエントリを投稿してきたが、先日の日経夕刊コラムに、作家の諸田玲子さんが同様のことを書いているのを見つけ、我が意を得たりという感じだった。諸田さんは、同じく日経連載の、桜田門外で謀殺された井伊直弼とお傍女の恋を描いた「奸婦にあらず」がおもしろくて一辺にファンになってしまったのだ。
▼半袖では肌寒かった昨日の天気予報はさすがに「涼しい」と言っていたが、週末からはもう暑さがぶり返すとしきりに繰り返している。いったい気象予報士は何をビビってるんだろう。今日なんか「大暑」だけど真っ昼間の車中でも窓全開で全然いけたけどな。空気もサラッとしていい風が吹いている。入道雲も見あたらない。このくらいの気候でもエアコンガンガン効かせて暑い暑い言う無粋な輩はいるかもしれないが、言わせておけばいいではないか。断言するが、今日は大暑にしては「記憶的に」涼しかった。
▼大学三年の初秋、僕は失恋で傷ついた心を癒すため、東北一周旅行を敢行した。当てのある旅ではなかった。新宿で飲んだ後、いつもなら山手線に乗って下宿に帰るところを、思いつきで中央線の最終に乗って北に向かったのだ。夜遅く松本で宿をとった僕は、その晩ビジネスホテルの狭い部屋でアダルトビデオを見ながら久しぶりにオナニーした。恋をしている間は、そんなことをするのは彼女に悪いような気がした。彼女への純粋な気持ちが汚れてしまうような気がした。
▼そこから日本海に出て糸魚川まで行った。フォッサマグナを見にいったのだがよくわからなかった。北陸本線の駅を降りると海はすぐそこだ。やたらに埃っぽい道路脇の食堂で食事をした以外の記憶は残っていない。新潟から佐渡に渡って一泊し、引き返して日本海側を北に向かった。日本一の穀倉地帯は見渡す限り黄金色の稲穂が刈り入れの時を待っている。
▼途中疲れて特急に乗り換えたりしながら秋田、青森と進む。車窓には延々とりんご畑が続いている。下北半島をさらに北上した。薄が疎らに生えただけの陸地が、いきなり海に落ち込んでいる。砂浜でも岩場でも護岸でもない海岸線を生まれて初めて見た。夕暮れの弱々しい光が厚い雲間からこぼれ、なんとも寒々しい光景だ。
▼イタコで有名な恐山にほど近い、下北半島の喉元にあるその港湾の町に、僕は二泊した。駅前の旅館は素泊まりにして町を散策したが、見るべきほどのものはない。なにしろ二階建より高い建物がないのだ。隣の自衛官募集の看板に隠れるように佇む赤提灯の暖簾をくぐり、先客が飲んでいた焼酎に色をつけただけのものをたのんだ。すぐに意識が飛んだ。それから太平洋側を下り、途中気仙沼で一泊した。日本三景の松島にも立ち寄ったはずだが、旅館までの道中がずいぶん狭かったこと以外覚えていない。
▼東京で再会した高校の同級生に恋心を抱き、はっきりしない非生産的な関係を三年になるまで引きずった挙句、そんな一方的な気持ちを勝手にあきらめるため、中学の社会科の復習のような旅をして自己満足するセンチな僕の精神年齢は、大学生どころか中学生以下だ。先月末、会社のはからいで石巻を訪れるまで、以後四半世紀近く東北には縁がなかったのだから、「オレは九州の人間だから気仙沼石巻がどこにあるかわからない」と乱暴なことを言って辞任した前の復興担当大臣となんら変わるところはないだろう。
▼現地では、津波をかぶらなかった作業場近くの民家を借りて宿舎にしていた。お昼はそこでまかないの飯が出る。

目の前には青々とした稲田が広がっている。まだ穂のついていない稲は足の長い草に見える。そのすぐ向こうに樹々の繁れる山々が迫っている。眩しいほどの日本の原風景だ。食事を終えると、作業員はまた、道ひとつ隔てた泥まみれのがれきの山を片付けに戻る。
▼今度の大津波に流されてしまったものはなんだろうと考える。それは端的に言って、僕が毎日ブログに書いているウチゴハンや下の子の様子のような日常の全てだ。それはあまりにも脆く、こういってしまえばとるにたらないものかもしれない。国敗れて山河あり。今は国が敗れている状態だ。福島では山河もやられつつある。だから国も必死なのだろう。けど山河さえ残ればいいのかな。
モリチャン(誰?)のバケナス(ボケナスじゃないよ)が二日連続の美味しい煮びたしに化けました。

二日目は厚揚げと合わせて味噌味に。付け合わせはジャガとキュウリのマヨネーズ和えとピーマン肉詰め。

エントリタイトルは写真家荒木ノブヨシ氏が奥さんの陽子さんを偲んだ写真集「センチメンタルな旅、冬の旅」から。どこまでもセンチだね。おたんこなすというよりオセンチナスだ。バケナスよりコワイ。