ネタバレ御免

昨日は仕事を終えていったんうちに戻り、夕食を食べてから、今にも降り出しそうな湿った空気の中を、映画「光の方へ」を観に行った。とにかく重すぎる映画だった。原題は「SUBMARINO」デンマーク映画とういうことだが、世界中どこだって社会の底辺でもがいている人たちの姿は似たようなものだ。
▼映画のオープニングは、主人公の兄と弟が子供の頃、生まれたての赤ん坊をあやすシーンだ。この赤ん坊が、兄弟とどういう関係にあるかは、よくわからない。普通に考えれば年の離れた三番目の兄弟ということになるのだろうが、すんなり納得できない。なぜなら兄弟の家庭に父親の影はなく、母親はひどいアル中だからだ。
▼泥酔した母親が小便を垂れ流して眠る次のシーンでは、兄弟が隠しておいた母親の酒を、順番にラッパ飲みしながら踊り狂いストレスを発散する。酒を飲み始める直前、一瞬赤ん坊の泣き声に気を留める兄弟だが、そのままアルコールの海に沈んでしまう。酔い潰れた眠りから目覚めた兄は、真っ先に赤ん坊の様子を見に行くが、赤ん坊は既に死んでいる。
▼絶望と悲嘆と後悔の叫びで、成人した現在の兄が目を覚ますところから、映画は始まる。ジムで筋トレをした後、ドラックストアでビールを買い込んで集合住宅に戻る毎日を送る兄は、つまらない暴力沙汰で最近まで刑務所に入っていたようだ。タンクトップ姿でバーベルをあげる剝き出しの二の腕は刺青だらけで、兄の今日までの道のりが平坦ではなかったことを容易に想像させる。
▼集合住宅の隣人の女性が気にかけてくれるが、兄は気をゆるすことができない。途中、弟に電話をかけるが、受話器の向こうに聞こえる子供の声に、兄は弟に話しかけることができず電話を切ってしまう。映画を観る者は、ここで同じ環境に育ったが今は別々の道を歩む兄弟の物語を想像するだろう。すなわち弟の方は家庭に恵まれ、幸福な人生を送っているのだと。
▼映画は兄の次に弟の生活を追う。弟は二年前に妻を事故で亡くした父子家庭で、重症の麻薬中毒であり、兄に輪をかけて悲惨な生活を送っていた。一人息子だけが生きる支えだ。弟の時間は、兄より数週間だけ過去にずれていて、三週間前に母親の葬儀で兄と久しぶりに再会し、電話番号を渡すエピソードが描かれる。その際母親が遺した不動産の権利金を、兄は全て弟に譲る。兄も弟の一粒種のことを想っているのだ。
▼弟はその金を元手に、生活を立て直すのではなく、麻薬の売人を始める。そしてあえなく警察に捕まってしまう。この間兄は弟に三度電話をかけている。一度目が話かけることができずに切ってしまった電話。この時弟はヤクの売人が束の間軌道に乗っているところだ。二度目は「話がある」と留守電に吹き込む。この時弟は既に捕まっている。三度目は通じず、交換手に住所を聞き出して、すぐ近くの住まいを直接訪ねるが、隣人にもう二週間戻っていないと言われる。
▼その後兄も友人を庇って刑務所に入り、そこで弟の姿を偶然目撃する。兄は弟に話しかける。「もっと気にかけてやればよかった」弟は答える。「あれは兄さんが悪いんじゃないさ。兄さんはいい兄さんだったよ。オレたちは一生懸命やった。でもどうしようもないこともある」と。そして弟は自殺する。
▼一度目の刑務所から出てきた兄が暮らす「シェルター」と呼ばれる小奇麗な支援ハウスの存在や、その場で給付金が受け取れるらしい、弟が子供のことを相談するケースワーカーのいる施設、あるいは兄と弟が会話する中庭のようなスペースのある比較的自由度の高い刑務所など、北欧の高福祉社会たる所以が随所に垣間見えるが、結局のところこれらの社会システムそのものが、アル中の兄やシャブ中の弟を初め、水の底に沈む人々の心を救ってやれるわけではない。
▼映画館を出ると既に土砂降りの雨だったが、近くの馴染みの店ではなく、少し遠くまで歩いて見知らぬバーに入った。顔見知りと会って話をする気分じゃなかった。その店でボーモアのロックを傾けながら、父になること、兄であることについて考えた。冒頭とラストに現れる赤ん坊は、二人の弟というよりは子供であり、希望である。それを失わないようにすることだけが、人が海面に浮上するための唯一の目標であり、一条の光なのである。