イエローサブマリン考

ウオール街発の格差社会抗議デモが世界中に飛び火して、東京でもデモが広がっているらしい。主張は各国各都市様々で、東京は当然ながら反原発の色彩が濃い。発端のアメリカではブッシュ共和党ドクトリン=新自由主義トリクルダウン理論の反動として、デフレの主因をミドルクラスの購買力低下に求める議論が盛んだが、果たしてそうだろうか。
▼議論の正否はどうあれ僕の記憶では、景気に陰りが出てくると政権が保守からリベラルに移り、リベラルの経済音痴が露呈するや保守が復権するのはアメリカも日本も変わらない。そもそも共和党民主党では同じミドルでも想定するミドルの種類が違うだろう。同様に、先日紹介したニート評論家の赤木某氏やデモに参加する非正規雇用者と、映画「光の方へ」のサブマリン兄弟のような人たちでは、一口に貧困層と言っても質が違う。
▼僕は新自由主義者ではないが、富の分配は自然(市場)に任せるしかないと思う。デモに参加するようなニセの貧困層ではなく、ホンモノの貧困層を福祉で支えても、そのお金はギャンブルやアルコールに消えていくだけだ。富の再分配は往々にして「猫に小判」ということになりがちだ。だがこういう人たちのことを怠け者というのは少し違う気がする。「光の方へ」を見ればそれがよくわかる。
麻薬中毒の弟は、兄に遺産を譲ってもらっても、麻薬を買って売りさばくことしか思いつかない。組織から買いつけた麻薬を小売り用に一袋ずつ分包していく作業は、弟にとって久しぶりに労働の充足感をもたらすものだったにちがいない。これはこれで彼なりに懸命な生き方なのだ。
▼彼らを貧困から救うにはお金だけではたりない。ではお金の有効な使い方を教えればいいのだろうか?それもちがう。人は自分の経験したことしか本当には知りえないからだ。人生において幸福感を一度も味わったことのない人に、それがどういうものかを教えるのはほとんど不可能に近いだろう。
▼その時々の風向きで、経済理論と政権だけは右に振れたり左に振れたりするものの、社会階層そのものは固定されている。今、デモに参加している人たちは、格差社会に抗議しているのか?それとも原発に反対しているのか?きっとなんだっていいのだ。要は文句が言いたいだけなのだ。これも昔からあるひとつの階層にちがいない。本当に海底深くに沈んでいる人たちは、抗議する言葉すら持たない。
▼僕もついこのあいだまでそんな文句言いのひとりだったけど、美人で料理の上手な妻と子供らしい子供に恵まれて、これで文句言ったらバチが当たると思い直した。そんな今夜のウチゴハンは肉じゃがに冷製豚しゃぶサラダ。

僕は運がいい。