会社は誰のもの?

昨日仕事が終わってうちに帰ると修学旅行から帰った下の子がご飯を食べていた。またいつもの風景が戻ってきたね。たしか一日目はNHK、二日目はディズニーランドと上の子と全く同じコースだったはずだ。大人にとっては一泊二日なんてあっという間だけど、下の子にとっては大冒険だったにちがいない。
▼出発前に「おみやげは気にしなくていいからね」と言っておいたのにたくさん買ってきた。僕と長男とお小遣いをくれたおじいちゃんおばあちゃん、妻のは二つもある。きっと行く先々でママのことばかり考えてたんじゃないかな。全く女冥利につきるってもんだ。
▼子供の頭の中は単純なのに、大人の世界は相変わらずややこしい。巨人軍フロントのゴタゴタを見てて、いったい会社(組織)は誰のものなんだろう?という疑問がふと浮かんだ。
▼結論を先に言ってしまえば、コンプライアンス社外取締役など社会の大方の風潮とは逆に、会社は株主や社員などの利害関係者全体のものではなく、最高質力者=トップのものだというのが僕の意見だ。トップはたいてい大株主でもあるけどね。
▼日本人は半官びいきなとこがあるから世間的にはナベツネよりキヨタケって感じかもしれないが、これはどっちが正しいとか間違ってるとか、ガバナンスや専権事項の帰属の問題ではないのだ。トップには全権があり、その他の者にあるのは役割と分担であって専権事項などというものではない。オシマイ。
▼ニュースキャスターの木村太郎によれば、大リーグのあるチームのロッカールームには次の言葉が大書してあるという。①ボスの言うことは絶対だ。②ボスが間違ったことを言ったら①を見ろ。つまりはボスには絶対服従なのだ。ボスに逆らうということは、①自分がボスになる。②チームを去る。のどちらかだ。
▼記者会見による告発とか法廷闘争とかは番外で、読売グループの文脈で言えば、キヨタケさんはただの文句を言って辞めていった人である。彼は多くの場合と同様に②の道をたどった。涙の会見というが①の気のない意見に、はたして真剣味があるのだろうか。組織の側もこれから離れていく者の言うことに耳を貸す必要は感じないだろう。
▼組織にとっては、組織を離れた一般的な真理も正義もない。組織にとって重要な人とは、組織の利益に反するあらゆるものに徹底的にかみつく人間である。多くの場合トップは、その組織の存続について、世界中の誰よりも真剣に考えている。トップの誤った判断には、責任がない者の昨日今日の正しい思いつきとは比較にならない重みがある。
▼世の中のほとんどの人は、自分が思ってるほどにはたいして責任を負ってはいない。完全に主人であるのは自分に対してくらいのものだろう。我々は外では公僕か社僕、うちに帰れば下僕であることを自覚しなければならない。なぜなら家庭の維持に腐心しているのはたいていは奥さんの方だからだ。

昨夜のウチゴハンは刺身好きの僕と下の子のための特別メニュー、マグロの漬けとアボガド丼。白髪ネギとゴマ油がアクセントになって超うまかった。ナマ魚を好まない妻と長男が信じられない。そういえば親友の亡くなった奥さんも生食の習慣がないのを知らず、うちに遊びにきた時寿司を用意して失敗したことがあったな。まだ下の子が生まれてもいない頃のことだ。豚肉も食べられないので、男同士で飲んだ時は帰りにこっそり豚骨ラーメン食べて感涙にむせんでたっけ。数年前不慮の事故で亡くしてからは、もうこっそり食べる必要もなくなったのが悲しいね。合掌