維新伝心

いやあ、すっかり油断していたことだよ。土曜日、現場から直帰して何気なく夕刊の番組表を眺めていたら、年末恒例のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の総集編をやっているではないか。なぜ朝刊時点で気づかない?肝が冷えたわ。ダイジェストとはいえ、見逃した第一部の松山中から東大予備門時代の子規と真之の青春を垣間見ることができた。じきに第三部も始まるし、こんなに楽しみなこともそうはないな。
▼今日の話題はなんと言っても大阪ダブル選ですね。尊敬する人気ブロガー女史はこれを、堺屋太一氏の著作を引き合いに「大事なのは人事(政権交代)でも政策(TPP)でもなく体制(維新)だ」と書いてました。なんか語調まで似てきたが、僕はシステムさえいじればなんらかの本質的な変化が訪れるとは考えていない。じゃあ変革の条件は何かって?それは「その時が来た」としか言えない時代の要請なのだ。
▼90年代初頭の小選挙区制に代表される政治改革がいい例だ。確かにあれはあれで政治の世界では大きな変化だったかもしれない。時々の風向きで列島オセロのように勢力図が変わる小選挙区制は、政権交代を可能にする画期的システムだし、事実政権交代は実現した。が、世間一般の人にとって世界観が変わるほどの変化だったとはとても言えないだろう。
▼大多数の市井の人たちにとって、本当の変化は常に外からやってくる。黒船や敗戦のようなガイアツという意味ではなく、意識の外からやってくるという意味だ。もちろん幕末から維新にかけて、国の新しい形を考え抜いた人たちがいなかったわけではない。ただ一般市民にとっては、それはある日突然やってくることになる。民主的にみんなで考えて納得の上でという風にはならない。
▼時代の転換期に、人はある日突然、強引に、強制的なやり方で丸裸にされる。既に裸の人は皮まで剥がされるわけではないので、これはあくまで服を着ている市民の話だ。堀井憲一郎氏によれば、我々は戦後民主主義社会というひとつのタームのシッポにいる。ある体制の寿命をその国の平均寿命と仮定すると、日本の場合約80年。明治維新から敗戦までが78年だ。そして今年は戦後66年。ターニングポイントまであと12年。ひとつのシステムとしては末期だ。
▼システム崩壊の12年前というと、江戸幕藩体制では安政二年(1855)、大日本帝国でいえば昭和八年(1933)にあたる。列強が次々とやってきて開国を迫る。世界恐慌後の金解禁でデフレに見舞われる。それぞれに現在を思わせる符合がないわけではない。この年安政の大地震三陸地震が起きているのも何かの因縁かもしれない。
▼大阪ダブル選で圧勝した橋下氏と維新の会に抵抗がある人は、その手法の強引さを批判するが、本音は今着ている服を脱がされることを恐れている。橋下氏の大阪都構想は「大阪府さんと大阪市さんの二人で同じことをしているので、一人はムダだからやめましょう」という至極まっとうな話だ。けれども当事者にとっては、二人に一人は裸になるのだから大変な話である。
▼こういうまっとうな話の実現が困難なのは、二人の間に本質的な差がないので、寒風にさらされるリスクは二人とも同じだということ。さらにはひとつ大阪に限った話ではないので、日本中が抵抗勢力になってしまうのだ。維新に好意的なのは丸裸の人(ガラガラポン待望論)か、服を何枚も持っている人(エリート)ということになる。橋下氏が圧勝したのは、丸裸の人が服を何枚も持っている人の意見をツイートして感化されたからだろう。
▼しかし、勤勉で慎ましい世界に誇れる日本人の美徳を備えた日本人こそ、この服を着ている人たちなのだ。そのことを図らずも立証したのが3.11の東北大震災だった。平時には週休二日昼寝つきでボーナス五か月退職金ウン千万と、税金泥棒のようにこきおろされてきた自治体職員が、国難に際してはまさに命がけで、身を挺して、不眠不休で働くことがわかった。
▼ひとつのシステムの終焉と新しい体制の始まりは、こうした人たちの服を不意に奪い去る。生活の基盤ごと押し流す。奔流に飲み込まれ、命を落とす人も大勢いるだろう。まるで津波のようだ。今度の震災は、そう遠くない将来にやってくる転換期の荒波の、予行練習のようなものだったのかもしれない。
▼キャリアも終盤にさしかかって、ようやう服を着ている人レベルになってきたわが家のウチゴハン。昨夜はチキン南蛮。

ガードマンにもらった山芋鉄板は、味は抜群だったが色があまりにも悪く妻が写真を嫌った。下の子も気味悪がって食べない。そして今日はベーコンとほうれん草のクリームパスタに温野菜サラダ。

僕は今の生活を失いたくない。