年の瀬に思う

二十七節気の大雪を過ぎて、週末はこの冬一番の冷え込みとなった。各地で初雪が観測され、列島も冬支度を急ぎ始めた。月曜にみんなが会社や学校に行く頃には、山肌もうっすらと雪化粧していることだろう。これから年末までの時間は加速度的に早くなってゆく。まるで時間そのものが新年が待ちきれなくて速足から駆け足になるみたいだね。
▼新聞に一年の回顧記事が載り始めると、年の瀬を感じる。2011年という年が、東北大震災の年として記憶されることはまちがいない。地震津波といった直接の被害についてだけでなく、福島原発メルトダウンなど日本の安全神話が崩壊し、社会的にも文化的にも震災に触れずして何ひとつ語ることができない、ある種のターニングポイントとして深く記憶されることになるだろう。
▼とはいえ、実際に被災した人たちとそうでない人たちとの間に、震災に対する意識に温度差があることも事実だろう。直接の被害にあっていない西日本の人たちにとっては、同情はしても所詮対岸の火事であり他人事だ。だが時代の転換期に対する感受性を獲得したのはまちがいなく東日本の人たちであり、生き残った者にとってどちらがよかったかは後になってみないとわからない。
▼最近の社会の閉塞感は、バブル崩壊後の二十世紀末より深刻さの度を増すばかりだ。日本→アジア→米国→欧州と順番に繰り返される金融危機通貨危機は、自由主義や資本主義といった現行システムがほとんど末期的状況にあることの証左のようにも思える。資本主義の本質が、モノの価値の地理的、時間的差異を利用して利潤を生みだす行為なら、行きつく先は直接利ざやを追及する金融資本主義にならざるをえない。投機の場を求めて世界中を駆け巡るマネーが、ローカルの実体経済を破壊している現在の世界の姿である。
▼例えば大阪維新の会の橋下氏が意識しているいないは別として、それが時代の要請なら、大阪都構想は単なる二重行政の合理化にとどまらず、文字通り放射能で傷んだ東京からの遷都構想にまで発展するかもしれない。生活に変化のない人には思いもよらない話だが、避難区域でなくても首都圏の原発疎開を真剣に考えている人にとっては絵空事ではないのだ。
▼僕がさむいさむい言ってると、東北に行ってた同僚が「あっちに比べると風が生ぬるく感じる」と言った。東北は今頃氷点下だ。

ガードマンがみかんを箱で持ってきた。吹きさらしの中一日じゅう立たせて申し訳ないね。
▼ウチゴハン劇場、木曜は妻が友人の誕生会兼忘年会でカレーの作り置き。

金曜は研修という名の宿泊忘年会でお休み。そして今日はほうれん草とベーコンのクリームパスタ。

リングイネタイプの生麺なのだ。