天体観測

皆既月食の土曜は長男と交代でベランダに出て夜空を見上げた。下の子はとっくに布団の海で月面宙返りを繰り返している。月食とはいえ、月が消えてなくなるわけではない。23時を過ぎて食が完了しても月の周りはうっすらと明るいままだ。むしろ断続的にかかる雲の方が月を隠し、食ではないかと勘違いさせる。
▼今住んでいるところに越してきたばかりの頃、小学校の校庭で天体観測の行事があった。幼稚園の下の子を肩車し、小学二年の上の子の手を引いて望遠鏡をのぞいた。その時長男は、太陽から遠いどこかの惑星を「米粒の半分くらいの大きさ」と言っていた。子どもの感覚はつかみどころがない。たとえ親子でも、こんなに小さな頃から全く別の世界観を持った別の人格なのだ。
▼僕がその時の長男の年の頃は、ボーイスカウトの下部団体カブスカウトに入隊していた。毎週日曜は必ず集会があった。野外活動や全体集会がなくても、地域分団ごとに各家庭のうちに集まって天体の動きを勉強したりした。隊員の子どもたちの父兄が教えてくれるのだ。ある時僕が地球から見た太陽の動きを公転だけで説明したら、誰かの父親が「ちがう」と一蹴して、宇宙への興味がいっぺんにしぼんでしまったことがあった。こういうことはいつまでも覚えているものだ。
▼当時は日曜に家族でNHKの大河ドラマを見るのが習わしだった。中でも他界したばかりの市川森一脚本、脂の乗った緒方拳、先代市川染五郎が共演した「黄金の日々」は出色だった。市川先生はつい最近までラジオのテレフォン人生相談で元気にパーソナリティーをつとめていらしたのに。夜の生活が淡泊な夫をなじる主婦の相談で「本当のやさしさは相手の弱さを受け入れること」とのたまうなど、〆の一言のキレに衰えはなかった。
▼秀吉役を怪演した緒方拳も既になく、主人公ルソン助左衛門役の松本幸四郎も日経で「私の履歴書」を連載中である。僕の子どもたちも、僕が大河を見ていた頃よりずっと大きくなった。僕も当時の父親より年をとったということだ。月日は瞬く間に過ぎてゆく。
▼満足な額ではないがボーナスも出たので、日曜は仕事の帰りに週末のおたのしみを買って帰る。いつも思うのだが、空前の円高にもかかわらず、一番欲しいシングルモルトは高止まりしたまま全く下がる気配がないのはどういうことだろう。大好きなラフロイグは高くて手が出ず、代わりに広告の品グレンリベットを購入。


黒ラベルで夕食を流し込み、「坂の上の雲」を見ながらスコッチをなめる。悪くない人生だ。