冬休みの想い出

例年になく余裕のある休みだったはずが、あっという間に自宅に逆戻りである。「休みが長すぎると身体がなまる」とか「休みが長いと何をしていいかわからない」という類の話をよく耳にするが、とても信じられない。自分はとんでもないナマケモノではないかと不安になるが、そういう面は確かにあるかも。少なくとも勤勉な方ではないな。ずっと昔から、子供の頃からそうだった。この年になると他人のことはさておき、自分のことは掛値なしに見えてくるものだ。
▼二日はクリスマスの頃から帰省しているのに年を越しても連日予定がびっしりの超人気者、妻の唯一の空白日につきあわされて初詣でと初売りのお伴。逆に僕は唯一行事らしい行事の高校の部活の初稽古に参加できず。もっとも大晦日と元旦の飲み過ぎ食べ過ぎで妻とのランチパスタを食べるのもやっとだったから、旧知の仲間と飲み食いしてたら確実に吐いてたな。いい年してみっともないことにならなくてよかったかも。数年ぶりに安全靴以外の自分の靴を買った。僕も妻を見習ってもっと自分に金かけないといつまでも貧乏神が逃げてかないね。
▼三日は長男が部活のため始発の新幹線でひとり先に帰る。もうそんな年頃だ。妻はまたまたお出かけで午前中は下の子と二人放置プレイ。その間に持ってきた川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」を読了。タイトル通りの素晴らしい出来栄えである。

すべて真夜中の恋人たち

すべて真夜中の恋人たち

フロベールの珠玉の小品「純な心」や川上弘美の傑作「センセイの鞄」を彷彿とさせる。鞄でもオウムでもショパンの子守唄でもなんでもいいが、僕もせめて人生の終わりに、何か想い出の結晶のようなものがほしい。想い出ではダメだ。結晶でないと。
▼午後から家族で親友の実家を訪問。午前中までお兄さん一家も帰省していたそうだが会えずに残念。僕が東京で一番荒れていた時期に何度かお世話になった。酔っていつまでも繰り言をやめない僕に、「まあオマエもそういうスタイルでいくならそれもいいさ」と言ってもらって随分楽になった。近所に住むお姉さんもかけつけてくれた。十年程前のキャンプの時と五年程前のお兄さんのうちに集まった時以来だが、相変わらずきれいなひとだ。現金な妻はブスには近寄りもしないのに美人には愛想をふりまいている。下の子と同い年の一人娘も健やかに育っている。お母さまもご機嫌うるわしゅう。
▼お茶の席でも話題になったが、僕も彼もいつまでも年をとらない。とても不惑を過ぎたとは思えない。いくつになっても童心そのままの子供のようだ。知り合った高校時代、彼は真面目な優等生で僕は落ちこぼれだったけど不思議とウマが合った。それは僕らが良くも悪くも「おぼっちゃん」だからだろう。進学校だったので他にもいいとこの子や頭のいい子はいくらでもいたけど、そういうことではないんだな。浮世離れしたお人よしというか、脇が甘いのを通り越してまるっきりの無防備なのだ。それで彼は今も海外生活だし僕も日本で苦労してるってわけだ。
▼一夜明けて四日の最終日は下の子と二人でラーメン屋巡り。僕らが高校生の頃部活帰りにお世話になった、現在は唐津に移った名店をリスペクトしているという一番行きたかったお店は五日からの営業ということで残念。やっぱりこういうことは普通の時に来ないとダメだね。お店の方も地元の人はいつでも食べられるのだから、全国に散っているファンのために盆正月に店をあける努力をしてほしいものだ。
▼仕方なくチェーンでは地元で一番おいしい店と、それなりに有名店の二軒を攻める。チェーン店の方はうまかった。チェーンとして成功しているのもうなずける。下の子も手放しに喜んでいる。

それなりに有名店の方は客がひきもきらない繁盛ぶりだったが、具にモヤシとゴマが入り麺も太めと僕が勝手に定めたとんこつラーメンの禁をこらしょと破って平気な顔だ。下の子は僕の手前遠慮してはっきり「おいしくない」とは言わないもののしきりに首をひねっている。店を出ると「前のお店を後にすればよかった」と言う。子どもは正直だね。うちの子はおいしいものを後にとっておくタイプなのだ。
▼詳細は省くが、この休みの間は一日おきに妻と僕の実家を往復して両方のお母さんの手料理をアテに両方のお父さんとたくさんお酒を飲んだ。僕と妻の実家はそんなことが可能な車で15分程の距離にある。それもまたこの上なく幸運なことなんだろう。フェリーの中で妻のお母さんのお弁当を食べるのも、現在の住まいに引っ越す最初の航海からの恒例となっている。