贈与と交換

ガードマンがまたまた塩鮭をくれた。

いつもいろいろしてくれるので、今回の帰省で明太子のお土産を買って帰ったのだが、これじゃ元の木阿弥だ。職場の大先輩のムッスーには博多ラーメンをあげたら白菜×3、里芋×ムッスーもとい無数、にんじん、かぶ×大量をその場で掘ってくれた。倍返しどころじゃない。ご近所に配って歩いたよ。こういう白ヤギさん黒ヤギさん状態を終わらせたければ、こちらがお返ししなければすむわけではない。好意の拒絶はイコール関係の終了を意味する。ガードマンは雇わない、ムッスーのところには行かないことしか、この一方的な贈与の流れをとどめることはできないのだ。だから僕は高齢で耳の遠いガードマンを雇い続け、大先輩のムッスーを時々表敬訪問し、このままお二人の好意を有難く頂戴し続けることにする。
▼他方年賀状を出さなくなってからもうどれくらいになるだろう。当初はいただいた人にだけは返礼していたのだが、ここ二、三年はそれもしなくなった。こちらの反応は早い。ここ二、三年であっという間に一桁そこそこになってしまった。パソコンの住所録に記録してあるものを自動的に出して一言の添書きもなかったようなものは、こちらが出さないともう翌年は来ない。すぐに削除される。添書きをしてくれていた人でも、二年出さないとまず来なくなる。一年に一度の便りが二年ないということは、丸三年なんの音沙汰もないということだもんね。年明け早々そういうことにまるで頓着がなさそうな友人から、メールで「不義理の塊」と非難された。もちろん彼はこんな僕に毎年年賀状を欠かさない。
▼似たようなものにお年玉やお中元お歳暮の類がある。どれも悩ましい。情けない話だが、これら全てに不義理がないようにするのは経済的に難しい。しかし何かやりようがあるような気もする。会社には下請から社長宛にお中元やお歳暮が山のように届くが、社長は誰から届いたか見てもいないだろう。下請の方には申し訳ないが、会社に届いた品は全て社員で山分けにされる。もし相手の心に届くようなことがしたければ、社長でもなんでも影響力のある人の個人情報を調べて私邸に届くようにしないと効果はない。虚礼廃止というが、会社と個人はちがう。盆暮れの挨拶にしろ賀状にしろ、会社に届くようなものは廃止したらいい。しかし私信を虚礼廃止というのは勘違いだろう。僕は勘違いしていた。もう私信に虚礼も混ざってはいまい。今年届いた人には、遅まきながら寒中見舞いのはがきを出そう。
▼年が明けて早くも十日が過ぎた。おせちとお雑煮のブログを書いたばかりなのに妻の手になるウチゴハンの写真がたまってしまった。正月気分もそろそろ終わりにしなきゃね。

6日は具だくさんの豚汁にブリテリ。

7日はお好み焼きにごった煮(筑前煮?)にんじんを入れ忘れて色が悪いが味はよい。

8日はサラダ&パスタ。

9日はキッシュにスパサラ。スパサラのパスタがいつもより太めの5番で成功している。