私のピアノ〜日本階級社会論

ついこのあいだ正月だったのにもう2月。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」ってほんとだな。それにしても風が強い。テントが飛ばないか心配だ。なんのことかわからんね。
目をつむり冬将軍の声をきく
▼節分を前に寒さの底が抜けた。いつも引っかけているフリースを制服の下のインナーにして、一番上にはまた別のフリースを羽織る。なかなかいい感じだ。秘かに自己満足していたら、最近のインナー最先端はユニクロの超軽量ダウンらしい。この大寒波でどこも品切れだそうだ。しかしよく風が吹くなあ。ユニクロに。
▼夜遅くに何気なくチャンネルをザッピングしていると、聞き覚えのある声にリモコンを持つ手が止まった。画面に映る中年のおばさんが誰なのか同定する前に、聞き間違えようのない特徴ある歌声が耳をつかまえて離さない。「冷たい雨」、赤い鳥時代の「翼をください」、荒井由美のカバー曲「海を見ていた午後」、そして最後に「卒業写真」。
▼ささやくような、それでいて力強い、透明感のある不思議な歌声だ。ハイファイセットのボーカル山本潤子は、元々スローテンポな曲をさらにゆっくりと、かみしめるように歌っていた。それは二度と戻らない青春をいとおしむような歌い方だった。その晩スタジオの聴衆もテレビの前の視聴者も、ただひとりの例外もなく自らの青春を思い出していたにちがいない。
▼話は変わるが、その日の昼、世界のSONYの社長交代のニュースを見た僕はずっこけた。ネイティブの英語を操る長身のイケメン日本人に一瞬高校の同期の姿がダブったんだけど、いくら若いといっても年が違ったら本人ではないよね。オレまだ四十代だし。
▼彼がSONYに入ったかどうか定かじゃないが、曖昧な記憶によると、確か十年ほど前に一度出たきりの同窓会で、司会者が彼のことをどこかのグローバル企業で海外赴任していて千人の部下がいると紹介してたような気がする。本人はいなかったが。
▼その時今の会社に入ったばかりだった僕は、「一番大事なことは始業前と後に人数を数えて誰か穴にでも落ちてないか確認することです」と自己紹介してみんなの失笑を買ったのを、内心「ウケた!」と喜んでたんだからノーテンキなもんだ。
▼同窓会に出てくるような連中は医者やら弁護士やら大企業に就職したようないわば勝ち組ばかりで、彼らとはそもそも机を並べていた当時から全くつきあいがなかったんだね。名前を知らないどころか見たこともないような人ばかりだった。「こいつ誰?」って、それはあちらも同じ思いだったろう。
▼僕がSONYの新社長と勘違いしたやつは、選択授業の音楽で隣り合わせになった。僕が「中学までピアノ習ってた。君は?」と自慢げにきくと、「週に二回京都にレッスンに通ってる」といとも簡単に言われて呆気にとられたことがある。それでいてスポーツも万能で、体育の授業のゲームではいつもしてやられたっけ。確か苦もなくストレートで東大か京大に入ったと思う。彼も相当な美男子だったが、母親がものすごい美人だと級友の間で評判だった。
▼昭和の中産階級の家庭で、子どもの情操教育の一環としてこぞってピアノを習わせるのが流行った時代に、そのお金を英会話に振り向けていたら今頃どんなに日本のためになったかというような議論がある。僕が習っていたピアノは、今にして思えばまさにこの、わが子に質の高い教育を施しているという母親の自己満足の代償の典型なのだが、仮にそれがピアノでなく英会話だったとしても、ものにはならなかったにちがいない。京都在住のピアニストのところに週2回レッスンに通うピアノや帰国子女のネイティブイングリッシュと、習い事のピアノや英語とでは、もう同じものとはいえないだろう。
▼当時の僕はまだ日本が階級社会だなんてこれっぽっちも思っていなかった。そのことも含めて、たいした劣等感も抱かずに幼少期を過ごせたことは両親のおかげだと感謝している。そういう意味では習い事としてのピアノは、やはり情操教育としては機能してたんじゃないかな。

月曜は参鶏湯風。日曜夕の料理番組「ウチゴハン」のパクリ。

火曜は牛丼にスパサラに菜の花のおひたし。

水曜は肉ジャガに銀だらのチーズのせ。
▼木曜はよりによって雪の舞う最悪の日に接待。いつも利用する割烹居酒屋のコース。最後はカモ鍋と決まっているが、昨日は初めてワインの割下のすきやきが出た。そこで混乱が起きる。仲居さんが煮詰まってなくなった割下をたしてソバを持ってきた。カモ鍋なら〆はソバでも不思議はないが、ワインの割下にソバってのも斬新だと思っていたら、ソバは鍋の〆ではなく、コースの〆の単品の食べ物だった。仲居さんまで勘違いしてたよ。二次会を終えてお客さんのタクシーを見送った後、若い社員ともう一軒。以前の現場でしこっていたわだかまりがとけたような気がする。きついのをおして誘ってよかった。
▼今日はビーンズカレーに昨日の残りのブリ大根とクラムチャウダー。やっぱり妻の手料理が一番うまい。食後に毎年恒例の豆まき。チョコレートやビスケットやキャンデーのアソートを投げてやると子どもたちは犬のようにシッポを振ってひろう。いつも夜中に帰る長男が試合前の調整練習ということで、節分の今日に限って早く帰ってきたのもおかしかった。平成24年の現在では情操教育としてのピアノを習わせる余裕のある家庭も減ったかもしれないが、食育と情操教育なら誰にでもできるんじゃないかな。