きれいはきたない、きたないはきれい

小春日和とでもいうのだろうか。雨と雨にはさまれたポカポカと暖かい一日となった。こんなあたたかな日は、太陽の力を如実に感じる。車中はまるで温室のようだ。これだけのエネルギーをなんとか有効利用できないものかとつい思ってしまう。
▼帰りの車の中で、カーラジオから流れてきた猪苗代湖ズの「Ⅰloveyou&Ⅰneedyouふくしま」を聴いて、不覚にも泣いてしまった。ほとんどが「ふくしま」の連呼に終わるこの曲に、突然ふるさとを追われ、今なお戻ることのできない大勢の人たちのことが想起されて胸が痛んだ。同じフレーズをひたすらリフレインする静かな曲調に、彼らのふるさとを想う気持ちが感じられて泣けた。喉元まで出かかった「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という思いを飲み込んで、曲は「明日」を歌う。
▼直接の被害にあっているわけではない僕たちは、今なおそういう人たちがたくさんいることを、ともすれば日常生活の中で忘れがちだ。こういう曲は、もっといろんな発信源のヘビロテになっていいと思う。

▼震災以来原発稼働率が低下して火力発電所が復活し、二酸化炭素の排出量が大幅に増えているらしい。詳しいことはわからないが、もう京都議定書や鳩山元首相が唱えた排出量目標の達成はとても無理だという。逆に言えば震災以前は、原発化石燃料に頼らない、環境にやさしいクリーンなエネルギーということが売りだった。農産物の遺伝子組換え品の普及にも同じ理窟が使われた。遺伝子組換え技術によって害虫に強い品種をつくれば、農薬を使わなくてすむ。確かにその方が環境にはいいにちがいない。
▼科学技術の発展により、現代社会が抱えるさまざまな問題は必ず解決される。現に人類はそうやって進歩してきたのだという米国流の楽観主義に僕は与しない。歴史が証明しているとしても、直感的にそんな虫のいい話はありえないと思う。前節の例のように、進歩したと信じられてきたことも実のところ、得るものと引き換えに失うものがそう小さいものでないことが明らかになりつつある。
▼人という種としても、個人としても、我々はあれもこれもというわけにはいかないと思うべきだろう。あれかこれか、いずれかを選択しなければならない。自分たちのために、子どもたちのために。政治家にも識者にも、エネルギー源の転換をまるで絵空事のように言う人が多い。けど石炭から石油へのエネルギー革命はそんなに大昔のことではないはずだ。閉鎖された炭鉱の町を巡るツアーから見えてくるものもあるかもしれない。

ハンド→フット→ハンド→フットの繰り返しでしょっちゅうネイルに行ってる妻。それでゴキゲンならそれでいいと思う。

ウチゴハンはサーモンの香草焼きにスパニッシュオムレツ、フライドポテトのかき揚げをワンプレートに。