東京の新名所

そぼ降る雨の中、昨日東京スカイツリーが開業した。テレビは軒並みスカイツリーの特集だ。高速道路のSAが名所になる時代だから、スカイツリーなんかもう名所中の名所である。マイクを向けられたおばちゃんが「何しに来たかよくわからない」と答えていて、これを流すディレクターもかなりセンスあるなと思ったけど、よく考えたら単に曇って視界が悪いという意味だと後で気がついた。
スカイツリーのある墨田区は、一般的には下町ということになっているが、地理的に今ひとつピンとこない。僕はこう見えて東京に八年間住んでいたが、いわゆる大人の街麻布や六本木、若者の街と言われる渋谷や吉祥寺にはとんと縁がなかった。かといってこの墨田区葛飾区、台東区江東区といった下町にも足が向いたわけではない。
▼僕は東京タワーにも上ったことがないと思う。思うというのは、あの頃のことはあまりよく覚えていないからだ。ボランティア仲間(と書くと語弊がある。僕自身にボランィア活動の経験はない)の事務所が東京タワーのすぐそばにあって、窓から赤い鉄骨が見えたことは記憶にある。それともこれも記憶違いかしら。
▼俗っぽいことには興味がなくて、象牙の塔に引きこもっていたというわけではない。逆に東京とはどういう所なのか興味津々で、学業そっちのけで出歩いていた。ただそのやり方がなんだか不器用というか的外れで、うまくいったような気がしない。その理由は、今にして思えばよくわかる。要するに僕は田舎者だったのだ。
▼バブルの絶頂期にジュリアナがどこにあるか知らなかった。新宿の「さざえ」とかいうクラブには行ったけど(いったい誰に連れていかれたのだろう)リラックスできなかった。バイト仲間に流行りのプールバーに連れていってもらったが、いかにも場違いだった。ビリヤードは手足が短いと様にならない。まあ何でもそうだけど。
▼後楽園のウインズにはよく通った。中山には行ったことがあるが府中に行ったことはない。
世は空前の競馬ブームで、フラれた彼女と敬愛する作家高橋源一郎が競馬の話ばかりするので、僕もちょっとやってはみたものの、結局僕は競馬も馬も特に好きというわけではなかった。バイト帰りに必ずパチンコ屋に寄った時期もあったが、玉を出す気があったかも怪しい。射幸心は薄い方だと思う。
▼もっと遡って上京したての頃は、むやみに竹下通りばかり歩いていた。僕は東京=ファッションの街原宿だと思っていたのだ。その次は銀座。眠れない夜は早稲田通りから明治通り甲州街道と夜通し歩き続けた。中央線沿線もよく歩いた。牛込神楽坂から飯田橋、水道橋、神保町、御茶ノ水…けれどどこも僕が想像していた東京とは少しずつ違う気がした。
▼例えば上京する前は古本屋といえば神田ときいていたが、神田駅前には飲食店の雑居ビルしかなかった。神保町はビルばかりで古本屋というより古書店という感じ。早稲田通りの方が古本屋然とした店がたくさん並んでいた。ちょっとした違和感が少しずつ積み重なって、はじめの頃上ばかり見上げていたおのぼりさんは、次第に考え込んで下を向いて歩くようになっていた。
▼僕は都の西北にいた。上京して二年もたつ頃には、下宿のある馬場とバイト先の巣鴨、それから下北沢のマスターのお店以外の場所には行かなくなってしまった。それからというもの、僕はひたすら同じところをぐるぐる回っていたような気がする。そして時間だけが過ぎていった。
▼東北の行き帰りの新幹線の車窓からも見ることができたが、高層建築ぞろいの東京の中でもスカイツリーはやはり頭ひとつ抜けている。もし僕がまだ学生の頃にスカイツリーができていたなら、迷える子羊の行く手を照らすランドマークになっただろうか。
▼今では妻の掌の上でぐるぐる回っている気がする僕のウチゴハン。月曜は豚肉の大葉巻に魚のバター醤油。

火曜は豚肉とそらまめのパスタにデザートはミルクティーババロア


あまりの美味しさに感激して今日も一目散に帰ってみると、鍋にビーンズカレーだけ残してジムに行かれてしまった。

やはり僕は妻にいいように踊らされているのだろうか。