節電の夏、日本の夏

強烈な台風4号が通り過ぎていった。ピーク時には雨風ともに強く、担当事業所の雨漏れ対策に駆け回ることになった。風向きが変わり、台風が抜けたところでお役御免。夜中にうちに帰ると停電で真っ暗だった。右手にお箸、左手に懐中電灯の体でごはんを食べた。電子レンジが使えないので、妻は温めるのにひと手間かかっただろう。オール電化じゃ冷や飯だった。
停電の闇に閃く二刀流
▼一夜明けても停電はなかなか復旧しない。まずセキュリティのかかった会社の玄関があかない。鍵を持った人を待って中に入るもパソコンとコピー機が動かないので事務仕事ができない。仕方がないから取引先に出向く。信号はもとより、コンビニや飲食店もお昼に間に合わないところも多かった。担当の事業所は停電しなかった。周辺の大きな工場も停電はなかったという。やはり経済的な影響を考慮して優遇されているのかもしれない。それでも万一のために、既に大型発電機の導入が決定している。
▼我が家の復旧は昼前だったそうだが、冷蔵庫の被害は心配したほどでもなかったらしい。僕はその溶けかけてもう一度くっついた氷でチューハイを作って飲んだのだからたいしたことないだろう。今回の停電は随分長かった。停電になるとどんな風に不便かはだいたいわかった。真っ暗な中で冷たいご飯を食べなければならない。テレビやパソコンのお楽しみはなし。信号がないので交差点で神経を使う。コンビニや飲食店、自販機も使えなくなる。それでも正直それほど不便だとは思わなかった。
▼かなり以前から、停電はすっかり珍しいものになってしまったが、僕が子供の頃はしょっちゅう停電していたような気がする。そのたびに手探りで懐中電灯を探しにいったものだ。即席の肝試し大会みたいになって、懐中電灯を真ん中に弟と顔を寄せ合うのが楽しかった。
▼小さい頃はどこの家庭も扇風機で、クーラーなんてなかった。回転する羽に向かって声を出すと違う声になった。中心に指を押し当てて指圧で回転を止めてみたり、親の立場からするとハラハラするようなこともよくやった。スピードが緩くなると、止まる直前に回転が変わるように見えるのがおもしろくて、スイッチを何度も入れたり切ったりして飽きなかった。
▼後年、ニューアカの一大ブームを巻き起こした浅田彰が、生命をイメージするのに、フィードバックループという単語を使ってこの回転する羽の比喩を提示していたが、子供だましだなと思った。
▼昔は冷蔵庫も小さなものだった。子供の僕が腰をかがめてのぞくほど。ドアはひとつしかなく、あけると上の方に霜だらけの製氷室があった。停電にならなくても母は定期的にコンセントを抜いて冷蔵庫の霜取りをした。冷蔵室と冷凍室のドアが別れ、冷蔵庫自体も大人の背丈より大きくなったのはいつからだろう。僕は自分のうちの冷蔵庫が大きくなった時の感慨をはっきり覚えている。
▼日曜は梅雨の晴れ間に家族で釣りに出かけた。明け方まで降り続いた雨のおかげで下の子は入部以来初の休み。僕も仕事が休み、長男も部活が休み、妻もエアロビが休みと奇跡的に偶然が重なった。いつまでも子供らしい下の子はともかく、高2の上の子もよくついてきた。
▼もう家族で釣りに行くことなんて二度とないだろう。釣りどころか家族そろっての外出だって怪しいものだ。釣り自体一人で出かけるほどの趣味ではないから、これが最後になる可能性もある。釣果は二の次。ひたすら投げては巻きを繰り返す。何物にも代えがたいひとときを噛みしめる。

▼更新をサボっている間に妻の手料理がたまってしまった。


土曜はビールのアテにまずブタキム、メインはほうれん草パスタにミートパイと週末に相応しい晩餐。

月曜はチキンサラダにすき焼風煮。懐かしい給食メニューだ。

火曜は停電で写真とれず、水曜はチリコンカン。ビーンズメニューだがカレーじゃないのが味噌。なんと妻はジムに行かなかった。そしてデザートは絶品のスコーン。

国民生活全般の利便性はともかく、ひとりひとりの個人の精神生活は、停電の影響の及ばないところにある。少なくとも僕はそうだし、まともな人間ならそのことを忘れるべきではないと思う。