中庸の精神

立秋を過ぎてにわかに秋めいてきた。日中は暑いが、一日の仕事を終えて帰る頃には気持ちのいい風が吹いている。これならクーラーを入れなくてもいい。寝苦しい熱帯夜も今日まで幾日もなかった。僕的には今年は例年になく楽な夏だ。それなのに毎年のように熱中症搬送者が史上最高を更新するんだから不思議だね。
▼僕が小さい頃は宿題も朝の涼しいうちにやっておきなさいと言われたものだ。具体的には8時か、遅くとも9時頃まで。太陽が高くなれば、もう気温が上がって勉強どころじゃない。クーラーなんてなかったから部屋の中も外もなかった。お友だちを誘うのは10時を過ぎてから。その1時間が待ち遠しかった。お昼にいったんうちに戻ったら3時までお昼寝。それからまた日が暮れるまで遊んだ。
▼クーラーの登場でこのような生活習慣はなくなった。クーラーで部屋の中が冷えれば、その分だけ室外機から排熱されて外気温は上がる。もはや狭い空間ごとにクーラーを利かさないことにはまともに過ごすこともできない。熱中症が増加する原因は、直接的にはそういうことかもしれないが、人々が気温の変化に合わせる暮らしぶりを忘れてしまったことも大きいだろう。
▼早いものでロンドン五輪もいよいよ大詰めだ。ここまで日本の選手たちは十分すぎるほど頑張っていると思う。特になでしこ、女バレ、女子卓球、フェンシング、競泳男女メドレーの各団体は特筆ものの大活躍だ。個人の能力差を埋めるチームワークと精神力をいかんなく発揮しつつ、そのパフォーマンスは勝利至上主義とは一線を画したフェアプレーに徹している。これこそ日本人の真骨頂、和の心だと思う。
▼さて、バドミントンの無気力試合で上位4チームが失格になった際、なでしこの一次リーグ最終戦の「引き分けねらい」も問題になった。僕の見解はこうだ。佐々木監督の引き分け指示まではギリギリ許される。理屈の上では、決勝トーナメントを有利に戦いたいという動機は同じでも、わざと引き分けるのとわざと負けるのは違う。また年間百試合以上あり、同じ相手と繰り返し戦うリーグ戦なら消化試合もあるが、四年に一度のオリンピックに消化試合はない。
▼これは理屈の問題ではなく程度問題なのだ。このことは外国人には理解が難しくても、日本人ならなんの説明がなくても腑に落ちると思っていたら、当初は日本のメディアや評論家まで佐々木監督に批判的で、なでしこが勝ち進むと瞬く間に雑音が消えるという現金な反応にガッカリした。一方で失格になった世界ランク一位の中国人選手が、ツイッターかなんかで自分のしたことに嫌気がさしてもう競技をやめるといような発言をしていると聞き、スポーツマンシップは万国共通だと思い、人間を信じる気になった。
▼むき出しの国威発揚が、実は懸賞金目当てのむき出しの私欲に支えられているように、ナショナリズムとエゴは往々にして同根である。その一方で、わが日本人選手たちを支えているのは、応援してくれる周囲の人たちへの素直な感謝の気持ちだ。まずは家族、親兄弟、先生や先輩後輩、上司や同僚、友人や恋人…そうした大切な人たちの延長にしか、国家も国民もないことを、日本の選手たちは教えてくれる。応援する気にもなるってもんだ。
▼今やオリンピックは、身も蓋もない列強のパワーと礼節を知る日本人の戦いの場と言っても過言ではない。それは悲劇の歴史になると思っていたが、意外に善戦するので正直驚いている。

日曜の代休で早退した月曜は妻と下の子と三人でランチ。これがうちの近くの本家本元の盛りのいい蕎麦屋。実は支店だが。みんなよく知ったもので客が引きも切らない。僕は冷やしたぬき定食。妻はおろし野菜天ソバ。下の子は中華定食。あまりの盛りの良さに夜が入らなかった。

今日はキッシュにブルーチーズのトマトパスタ。料理五輪があれば金メダル間違いないな。