腸詰めのような世界

ここ数日の集中豪雨で水不足も多少は解消しただろう。暑い暑いと言いながら、台風が秋雨前線を刺激し、秋の空気の中でお彼岸を迎えるという周期は毎年同じだ。
▼上の子のいじめ騒動が、謹慎という比較的軽い処分で早期の決着をみたある日の新聞に、暴力団の傷害事件が頻発する福岡県で、県警の警部補が組員に捜査情報を漏らしていた事実が発覚し、地元に衝撃が走ったという記事が出ていた。山梨県では救急要請を受けた消防隊員が出動せず、放置された大学生が死亡するという事故が問題になっている。大津に引き続き兵庫でも、いじめ自殺の学校ぐるみの隠蔽が明るみに出た。いじめに限らず教職員の不祥事は、生徒に対する性的犯罪をはじめ後をたたない。
▼今回長男の件で初めて学校の先生と接触する機会があり、正直仕事で使っている人夫より程度が低いなと思ったものだが、翌日現場で指示を出しながら、やっぱり人夫の方がデキが悪いかなとも思った。まあどっちもどっちだ。僕だってそんなにデキのいい方じゃない。みんな同じ人間だ。先生も警官も消防士も、ひと昔前の自衛官も、公務員は批判されやすい分たいへんかもしれない。
▼教師が聖職と言われた時代は遠い過去のものだが、公共の福祉に携わる人たちの劣化があまりにひどすぎるのではないかと憤る人も多いだろう。そういう人は抗議の電話をかけ、投書し、ブログを炎上させ、時には実力行使に出る。ひとりで校長に切りつけることもあれば、集団で抗議の意思を示すためにプラカードを掲げて行進する、シュプレヒコールをあげる。今の日本がこんな体たらくなのは為政者のせいだと、矛先が政治家に向かう、カミソリの刃や銃弾が郵送される。こうなったらもう戦前とどう違うのか、お隣の国とどこが違うのかわからない。
▼件の警察について考えてみよう。マル暴の仕事は暴力団の取締である。根絶ではない。取締り、取り締まられる。管理監督し、管理監督される。他の業種となんら変わらない。だからこの両者の本当の関係性は、仕事仲間だ。本当に根絶してしまったら、警察だっていらなくなる。いろんなところで本気で原理原則を遂行しようとしたら、世の中に人間の居場所はなくなってしまうだろう。
▼日本からヤクザを根絶する。するとヤクザが出ていった不在の空間に、今度は別のものが入ってくる。それは中国マフィアだったり、ブラジルの窃盗団だったり、日本のヤクザより始末に負えないものになる可能性は高い。他のたいていのことも事情は同じで、たとえ不都合なことでもなくしてしまうわけにはいかない。ニュートラルの何もない状態というのは、人間の頭の中にはあっても実際にはない。
▼僕は世界を比喩的にとらえるならソーセージのようなものだと思う。腐ったところをちぎったり、ナリが悪かったりガスが溜ったところを握りつぶしても、他にシワ寄せがいくだけだ。僕らがしなければならないことは、全体として腸詰の皮が破裂しないようにすることだと思う。
▼長男がいじめっ子でもいじめられっ子でもないことは明らかだが、集団における人間関係にもニュートラルな状態というものはない。件の被害生徒と長男の間にもなんらかの関係性はあったはずだ。その関係性が極端にいびつなものにならないように、卒業まで継続できるように見守ることが教師の仕事になる。
▼大津中学は文科省の定める徳育のモデルスクールに指定されていた。そのことが、実際には存在するのに、模範校としては都合の悪い「いじめ」を存在しないものとし、発見を遅らせ、対処を遅らせ、隠蔽に走らせることにつながったとの指摘がある。
▼僕が今回の件で徹底抗戦したらどうなっただろう。息子が完全なシロなら、主任の先生はクロである。被害生徒を追いつめることにもつながっただろう。それは避けたい。しかし日本もまっとうに生きることが難しい国になってしまったなあ。

火曜は絶品のカラアゲ。

そして今日はヨガカレー。