遠くて近い国

天気予報によれば、昨日が本当に最後の猛残暑日だったらしい。今日あたりから徐々に秋の空気に入れ替わるという。なんだか子どもたちが小さい頃夢中になったムシキング(クワガタとカブトムシを戦わせるカードゲーム。時代は変われど子供の心の琴線は変わらない。ただ僕たちが実物でやっていたことは全てバーチャルになった)の倒しても倒しても現れる「本当に最後の敵」みたいだ。
本当に最後の夏か法師蝉
▼今日は午後から早引して高速で隣市の美術館までひとっとび。妻と二人で「フィンランドのくらしとデザイン」展を観に行く。駅前の真新しい再開発ビルに入った美術館は、白を基調としたシンプルなつくりで、展示の規模としてもおあつらえ向きだ。

こういうところに企画のセンスのよさを感じる。
▼さて、「森と湖の国」フィンランドは、スカンジナビア半島と海を挟んで東に位置し、長く西隣のスウェ―デン、ついで東隣のロシアに支配されてきた北欧諸国のひとつである。そんな中学の社会科のような知識しか持ち合わせない僕ではあるが、世界一周したという高校の地理の先生が言うには、ロシアへの敵対心から日露戦争に勝利した日本人に好意的だそうだ。日本人とみると「トウゴウ、トウゴウ」と握手を求めてくるらしい。
▼北欧に対する日本人のイメージは、僕のような義務教育レベルの優等生には高福祉社会、妻のように流行に敏感なオシャレ番長にはカワイイ北欧デザイン、メルヘンチックな乙女にはムーミンとサンタとオーロラの国か。メルカトル図法の地図に慣れて大きいと勘違いしているが、面積は日本と同程度。そこに北海道と同じくらいの人が暮らしている。ほとんどの人は首都ヘルシンキなど南の都市部に住んでいる。
▼展示はまず国民的画家ガレン=カレラ、ヤルネフェルト、ハロレンらの絵画から始まり、次にフィンランド叙事詩「カレワラ」を題材にしたカレラの版画作品へと続く。そしてムーミンを挟んで、カイ・フランクの食器やマリメッコのテキスタイル、アアルトの椅子などのモダンデザインを紹介する。ジャクリーン・ケネディ御用達のワンピといってわからなければ、映画「かもめ食堂」の世界といったらいいだろうか。国民作家の絵画表現からモダンデザインまでの流れが自然に理解できる構成になっている。
▼絵画作品は、たまに木材を扱ったり雪原を歩く集団を描いたものがあるが、ほとんどが風景描写である。風景といってもあまりパノラミックなものはない。手の届く範囲の、雪をかぶった木々。なんだか強引にトリミングされたような印象を受ける。どの作品も輪郭がはっきりせず、虹のように同心円状にぼやけている。率直に言って、僕はムンク「叫び」を思い出した。ムンクノルウェーの画家だが、これは北欧人の眼が持つ特徴のひとつかもしれない。いずれにしろそれらは写実やリアリズムからは遠く、そこから反復と定型の美術である版画、そして機能美や人工美を追求するデザインへと発展するのは自然の成り行きだろう。
▼その源流は「カレワラ」などの国民的神話や叙事詩にではなく、おそらくは北欧の厳しい自然と風土に求められる。長い冬のほとんどをうちの中で過ごさねばならないことは、我々が想像する以上に過酷なことなのかもしれない。彼らはいつも窓から戸外を眺めていた。雨の日の下の子のように。謹慎中の上の子のように。彼らの目に映る世界は常に窓越しのものだ。彼らの眼には窓というフィルターが一枚かかっている。その同じフィルターを通してこちら側から見たものが、世知辛い世の中から逃避したい日本人が憧れる「かもめ食堂」のゆるい世界なのだろう。同じ監督の二作目が「めがね」なのも偶然ではない。

▼美術館を出るともう15時に近く、ランチはあきらめてエキナカのファストフードで軽くベーグルをつまむ。

子どもたちのお土産にはワッフルの詰め合わせ。

僕らのママゴトのような生活も、ここまで徹底すれば堂々たるものだ。