俗人の秋

お彼岸の日曜は朝から雨。夕方雨があがるとすっかり秋になっていた。降っている間も気温はあがらなかったが、やんだ後は肌寒いくらい。押入れに埋もれていたトレーナーを引っ張り出したよ。
▼謹慎中(長すぎる。こうして子供は公教育によってスポイルされていくのだ)の上の子も、部活が中止になった下の子も一日うちでゲームしていたが、やんだらすぐに外に飛び出していった。階下で素振りする下の子に請われて窓から顔を出すと、夕焼けがやたらに高い。雲が高いんだな。日脚もずいぶん早くなった。子どもがバットを一振りするごとに暗くなっていくようだ。
▼ニュースだけをきいていると、年々酷暑がエスカレートしているような印象を受けるが、去年は秋が幾日もなかったことを考えると、今年の季節の歩みは正常だと思う。熱帯夜もほとんどなかった。猛暑の夏は馬力が足りず全くきかなくなるわが家のクーラーも、今年は役にたった。
▼ここ数十年の間に日本の秋の印象はずいぶん変わった。夏から冬へ一気に移行した昨年は異常にしても、秋が退潮傾向にあるのは間違いない。バブルを経て、つまり昭和から平成になって、すなわち僕が学生(精神病)だった間に日本はすっかり変わってしまったというのが僕の持論だが、昭和と共に秋はなくなってしまったような気がする。
▼僕が子供の頃の秋のイメージは、ボニージャックスの「小さい秋見つけた」の世界である。♪目隠し鬼さん手の鳴る方へ、澄ましたお耳に確かにしみた、呼んでる口笛百舌の声…これだ。歌詞といい曲調といい申し分ない。僕が小さい頃はまだ、空き地の鉄条網に百舌が捕えた蛙のミイラが刺さっていたものだ。今だって百舌が絶滅したわけじゃない。ただ僕に百舌の声に耳を澄ます余裕がなくなっただけだ。
▼中学生の頃の秋の記憶は、残暑の厳しい炎天下の校庭で運動会の練習をしたこと。練習はあんなに暑かったのに、本番の帰りには校庭がすっぽり校舎の影に隠れて秋風が冷たく感じたもんだ。部活を始めて、夏は楽しみな季節から大変な季節に変わり、以来今も基本的に変わらない。部活も仕事も似たようなものだ。過ごしやすさ以外の季節感はあまり重要なものでなくなる。夏と同時に秋も消えてしまった。
▼だが僕から秋が決定的に奪われたのは学生時代だ。東京にいた8年の間、僕は一度も充実した秋を迎えることができなかった。それじゃあ秋がどんなものだったか覚えてないのも無理ないね。三年の秋、傷心の東北旅行の間も、Tシャツ一枚で足りる陽気で持っていったジャケットは荷物になっただけだった。四年の秋は完全なアル中で記憶にない。五年目は一年間記憶がない。そして六年の秋は毎日泣いていた。
▼春に恋におちた僕は夏には早くもフラれ、秋にヤケ酒をあおり冬眠するという周期を繰り返した。それはまさに一年を通して地獄の季節だった。恋をしていない年は男友達と一夏中だらだら過ごした。だらだらとは、バイトしたり母校の部活の合宿を冷やかしたり飲み食いしたり昼寝することだ。それでいて恋の相手にはつけ刃でサルトルボーヴォワールがどうのとくっちゃべってたんだからフラれるのも当然だ。
▼こうしてみると四季がなくなったのは日本が変わったからではなく、僕自身の変化に起因するようだ。僕もつまらない大人になったというわけだ。しかし音楽は今じゃカラオケでJポップ歌うだけの僕も、秋になると無性にジャズがききたくなる。これも秋のなせる業だ。ああ秋の夜長はどこぞのジャズバーで、シングルモルト傾けながらテナーの洪水に身をまかせたいなあ。
▼わが家のウチゴハンもすっかり秋めいてきた。

木曜はきのこソテーに栗ごはん。

美術館デートの金曜はパスタにポトフ。

土曜は厚揚げと茄子の煮びたしにグラタン。

そして日曜は秋刀魚の塩焼きにナスのミートグラタン。