バブルの貴公子

日中はいつまでも暑いが、抜けるような空は完全に秋のものだ。朝晩の心地よい空気のせいで家人もなかなか起きてこなくなった。うちの人たちはこういうところはホントに正直だ。下の子は今週はずっと夜になると外に走りに出ていった。たしか去年の今頃もそうだったと思う。月が細くなればトレーニング熱も冷めるだろう。日脚の長いうちは出て行ったきり戻ってこなかった子どもらが、気がつくといつの間にかみんなうちにいる。そうなれば冬だ。
▼さて、昼休みに会社でネットサーフィンしてたら、facebookで昔の恋人の消息を調べる人は人間的に成長できない人だという記事が出ていた。言いたいことはだいたいわかる。僕はFBこそしていないが、典型的なそういうタイプの人間だ。逆に妻はFBはやっているが、交流サイトをそんなことに利用するなんてきっと考えたこともないだろう。一方でFBをやっている人の9割がFBをそういう目的に使ったことがあるという。(女性セブン調べ)
▼人間関係に積極的で、かつ常に未来志向の人なんてそうそういるもんじゃない。せいぜい1割くらいのものだろう。そしてその質のいい人たちのうち更に1割くらいの人だけが人類のイノベーションに関わる仕事をしている。これはひがみでもなんでもないが、世の中はそうしたごく少数の質のいい人たちのおかげで明るく照らされているのだ。妻と結婚して初めて、僕はそのことに気づいた。
格差社会反対デモに参加する人たちは自分が99%側の人間であることを宣伝しているようなものだが、けして本心からそう思っているわけではない。なぜなら99%側の人間に相応のサラリーでは不満なのだから。みんな自分が可愛くてしょうがないんだな。僕なら彼らに感謝こそすれ、デモなんてとんデモないけどな。ナンチテ。ともかくありのままの自分を認めると肩の力が抜けて人生がラクになる。さあ今日も自分らしく過去を振り返る旅に出ようか。僕も成長しないね。
▼秋といえば学園祭の季節である。僕に秋の記憶がほとんどないのは、サークルに入らなかったので学祭に内側から参加しなかったからかもしれない。一年の時、高校の先輩の好きな子がG大の落研で先輩について見に行った。落語と呼べる代物ではなかった。四年の時、初めて自分の学校の学祭に出向いた。通っていた銭湯のオパチャンが、一度行ってみたいというのでご案内した。規模こそ大きかったが僕には高校の文化祭の延長にしか見えなかった。
▼僕が当時なんの疑いもなく毎朝出勤していた肉体労働のバイト先に時々来ていた軽音サークルの連中のライブも見に行った。僕と同様一番バイトにはまっていた奴は、ギターがプロはだしにうまかった。僕が話が一番あったように感じていた奴は、ラテンバンドのバンマスだった。彼がツースリーの手拍子で客を煽ると、若い女性ばかりの会場が一糸乱れぬリズムで応えたのには驚いた。ライブにしろ芝居にしろ、実際バブル期にはどこに行ってもそこそこ盛り上がった。サークルでは部長だが、バイトでは一番使えなかった色男は、米米CLUBのコピーバンドのボーカルだった。バイトでは見せたことのない生き生きした表情をしていた。
▼ほどなくして学生好きのバイト先の社長が、四年で卒業する彼らの送別会を開いた。僕は社長が彼らに贈る卒業祝いの品を買いに行ったり会場をおさえたり、いったい何をやってたんだか。留年してその後二年社長のお世話になった僕が風の便りに聞いた話では、ギターの彼は会社をやめて楽器店で働いているといい、ラテンの彼は留学先の米国から社長宛に手紙をよこしたという。一番縁のなかったヤサオトコだけが音沙汰なかったが、すんなりいいとこに就職したことだけは確かだ。なぜなら僕は社長に言われて彼のプレゼントに高価なワイシャツを買ったのだから。
▼今朝、秋風の中を現場に向かう車のラジオから米米CLUBの石井竜也の声が流れてきて一瞬のうちに彼らとの短い交流のことが思い出された。彼らは今どうしているだろう。あの後どんな人生を送ったのだろう。

水曜はトリとナスの炒め物にマカロニサラダ。

木曜はカルボナーラに鶏とオクラのサラダ。