若さの特権

昨日から雨模様の天気である。夜半屋根を打つ音がかなり激しくなる時間帯があった。今日も引き続きしとしとと降り続いている。久ふりにまとまった雨になった。
▼仕事の帰り、本降りになる前に立ち寄った中古レコード店で、懐かしいジャケットを見かけ思わず手にとった。何気なく立ち止まったジャズコーナーの棚の前で、他の数多の細いタイトルの文字を脇に、不思議なことにその三枚だけが表紙をこちらに向けて飾られていた。

マイルス・デイビスの「ラウンドアバウトミッドナイト」ジョン・コルトレーンの「バラード」そしてハービー・ハンコックの「処女航海」モダンジャズの名盤中の名盤、人としてこの世に生まれたからには聴かずに死ねない必聴の三枚である。
▼長い間多くの人に親しまれてきたスタンダードナンバーには、やはり長い年月をかけて熟成されたシングルモルトが似合うだろう。しかし若かりし頃繰り返し聴いた曲には、当時飲んでいたウイスキーを合わせたい。そのままスーパーに回り、ブラックニッカを買う。うちに帰ってキャップをあけ、やおら口に含むと、むせ返るような強烈な薫りと共にあの頃の記憶が甦った。シングルモルトの芳醇な味わいには比ぶべくもないが、たしかにかつて慣れ親しんだあの味である。
▼学生の頃、僕は馬場の下宿からはるばるシモキタのマスターのお店まで三日とおかず通い詰めた。その店で僕は、毎回「この店で一番安いお酒を」というオーダーで、このブラックニッカを水割用のグラスに注ぎ、麦茶を飲むように一本あけるとたちまち正体をなくすのが常だった。全くよく生きてたな。
▼翌朝店を出た僕は、気を失ったまま小田急線の新宿〜藤沢間を一日中往復した挙句、夕方になってようやく意識を取り戻し、這うようにして下宿に戻ると死んだように眠った。そしてさらにその翌日、三日酔いが醒めるとまた性懲りもなくお店に向かうのだった。三日というのはそういう意味だ。ホントによく生きてたと思う。
▼だがその店に流れていたのはブルースである。これらの名盤を聴いたのは、また別の店だ。学生生活の初期に好きだった高校のクラスメイトの女の子を、僕はとあるジャズバーによく連れていった。ある晩マスターがかけてくれた「処女航海」に、彼女は目を細めて僕を見つめた。「この曲いいわね」あるいは「私この曲大好きよ」いくら僕がバカでも、その目が語るところをまちがえるわけがない。
▼僕は彼女に「コルトレーンだね」と言った。その時曲は既に印象的なイントロを過ぎて、運悪くサックスのソロパートに移っていた。当時僕はサックスといえばコルトレーンだと思っていたのだ。僕が言い終わるか終わらないうちに彼女の目から光が消え、彼女はそっぽを向いた。僕は自分が話している最中に好きな女の子からそっぽを向かれることがよくあったが、あまり気持ちのいいものではない。
▼このネタは過去ログでも披露した記憶があるが、何度書いても自分のバカさ加減に笑える。そしてそんなバカな自分が愛おしくてたまらない。もし僕が彼女だったら、絶対僕を好きになるけどな。きっと当時は彼女も僕と同じように若すぎて、物がよく見えていなかったに違いない。
モダンジャズの世界に燦然と輝く足跡を残した巨星たちの、これらは初期の傑作である。早世したコルトレーンは別にして、あとの二人はエレクトリックやフュージョンなどその後も積極的に新しい試みに挑戦したのはご承知の通りである。しかし音楽的な意義はともかく、時代を超えて愛されるこれらの名盤に匹敵するものは、ついに生まれなかったと思う。感動とは、若さだけが持つある種の素直さと不可分のものなのかもしれない。

ウチゴハンは豚の生姜焼きにジャガカレー。妻にしてはめずらしく火の通りが甘く、じゃがいもに芯が残っていたが、強烈というほかに形容のしようがない若いウイスキーのアテには、これくらいがちょうどいい。